君と僕との存在は (上)

君と僕との存在は (上)

<K.G 作>
〜プロローグ〜




果たして自分という存在は何なんだろう・・・。
この手、この体、そして生きているという実感。
それは感じることができる。
では自分はどうして生きているんだろう・・・。
生かされている。その表現も答えの一つ。
でも、僕の出したい答えはそれじゃなくて生きなければならないという義務感に支配されてそれでも生きることを選んでいるのはなぜだろうということ。人は生まれてから死ぬまで、なぜ生きているのか一度は考える機会がある。でも大抵は分からなくてやめてしまう。僕もその一人だ。結局は答えが出ないのかもしれない。でも、出したくなる。それが人間だと僕は思う。

少し視点を変えよう。そもそもこの世界は何だろう・・・。
世界の始まり。それは人を超えた存在が創り上げたものかもしれないし、はたまた、一般的に言われる全て偶然と突然変異の産物かもしれない。そこにも確たる答えはない。しかし、原初はなんであれ、この世界は時を刻んで生きている。今ここで僕が消えたとしても、この世界は動いている。まっすぐとどこかのベクトルに向かって。それを作るのは人間なのかそれとも自然の摂理なのか、人を超えた存在か。どれが先導しようが、世界は進む。時を刻む。

ではその世界の中で、僕はどう生きているんだろう・・・。
果たして僕は―――――――


真っ暗な闇の中からの生還は決していい気分のするものではなかった。
「うぅ・・・。」
ゆっくりと閉じていた目が開いた。僕の目に、明るい光が差し込んでくる。時間と共に視界と意識がはっきりとしてきた。
「起きました!!大丈夫ですか!?」
僕はまだ状況が飲み込めていなかった。ようやく視界がはっきりした中で目に入ってきたもの。それは沢山の知らない顔だった・・・。
「あ・あの・・・。」
「ぜひ、一言!!」
その台詞で大体の察しがついた。これはテレビや新聞関係の人、いわゆるマスコミってやつだ。
「今起きたばかりですからインタビューとかは今はご遠慮下さい!!」
看護師らしき人に押し出される格好でマスコミの方々は部屋から出て行く。この時自分が病院のベッドに寝ているということに気付いた。でもなぜか、その原因がまだ思い出せないでいた。それにマスコミが殺到する理由も全く見当がつかなかった。
「今追い出しましたから、安静にしていて下さいね。」
看護師さんが僕の肩まで白いシーツをかけてくれる。僕はさっきの疑問の答えが出ず、思わず尋ねていた。
「あの・・・僕・・・。どうして、ここに・・・。」
するときれいな看護師さんは笑顔で、
「少し記憶が飛んでいる部分もあるんでしょうね。あなたは事故にあったんですよ。それも大事故。でも大丈夫ですよ。軽い擦り傷と打撲で済みましたから。軽傷なんて奇跡ですよ。だから今は安心してゆっくり眠ってて下さいね。」
それを聞いてもあんまり思い出せなかった。それと奇跡なんて言われるほどの大事故なら他にも同じ境遇の人がいるのではと気にもなったりした。だがとりあえず、今は看護師さんの笑顔に癒されながら、言うことを聞いて寝ることにした――――――

夢・・・。人間は何で夢を見るのだろう。夢は人間の素直な感情や思いが出てくる場でもあると言われるが、よく分からない。それに曖昧なことが多い。起きればその内容はすっかり抜けていることが多い。何のために見ているのかは良く分からないが、人間にとって必要なのだろう。そして、今僕は夢を見ている。それも鮮明な映像で。

僕は街をぶらぶらとしていた。否、正確にいうとぶらぶらしていたくてしていたわけではなかった。僕は現在全日制の高校に通う高校1年生。しかし、中学の頃から自分の存在について常に考えていた。そう、生きていることに意味はあるのか、生きることに価値はあるのか。そのような思いや考えに陥りやすい人間になっていた。そしてそれを考えることによって生きているという実感を得ていた。この世界には自分を傷つけて生きていることを実感する人もいるぐらいだからそれから考えれば僕はまだましだと自分では思っている。そしてその背景には自分に対しての複雑な関係にあった。

「おまえ、キモいんだよ。」
最初はそれから始まった。中学の時に僕は完全に世にいういじめの対象とされていた。この時に世界の理不尽さを深く身にしみて感じた。言葉の暴力、体での暴力、そして、精神的な暴力。僕はこの精神的なものが大半を占めていた。無視、陰口、そしてネット、メール。全ての出来事がそれにつながってると感じるようになってしまった。感覚が麻痺していると言ってもいいだろう。

「ちょっと出かけてくるから。」
家に帰っては相手にしてもらえない毎日。母は育児放棄、専門的にいえばネグレクトという行為をとっていた。僕は成り行きでできた子どもだったらしく、母はシングルマザーでしょっちゅう男の所に行っている。時には酔って帰ってきては、暴言と暴力がやってくる。今日も起きて早々出て行った。

話は戻るが、そんなわけで今街を歩いている。街では高校生が楽しく笑顔で行き交う姿を見て、心の中で罵っていた。僕の気持ちなんて分かるわけがない。そう、分かってたまるか・・・と。現在の季節は夏。今日は絶好の海水浴日和だ。しかし、僕にはそんなことは関係ない。信号が青に変わるが僕は渡る気力さえないぐらい精神的に限界にきていた。そんな時だったのだろう。
「あ・危ない!!」
とっさに僕はその声がした方を見た。そこには一人のおばあさんが青になっている信号の中、ゆっくりと安全を守って横断歩道を歩いていた。そこへ向かって、4tトラックがブレーキをかけても止まれないスピードで突っ込もうとしていた。僕はなぜかその時は機敏だった。心よりも体のほうが先に動いていた。おばあさんを抱えて歩道へ向かって飛んだ。そのまま地面に肩から打ちつけ、少し転がった。トラックはブレーキを踏んだが止まらずに転倒、そのまま何人かを巻き込んで、信号機にぶつかり、止まった。そこに一台乗用車がつっこんできた。ぶつかった瞬間に炎上。一瞬で大惨事となった・・・。

その時、薄れ行く意識のなかで僕は思っていた。

今なら楽に死ねれたのに―――――――

「大丈夫・・か?大丈夫ですか!!」
看護師さんに揺さぶられて目が覚めた。かなりの汗をかいている。どうやらうなされていたようだ。
「だいぶうなされていましたよ。」
「あの・・・。」
僕は夢を鮮明に記憶していたので、看護師さんに聞いてみた。
「僕以外の被害者はどうなったんですか・・・。」
すると看護師さんの笑顔は一瞬で暗くなる。
「トラックの運転手さんと乗用車の運転手さんは亡くなったわ。巻き込まれた歩行者は3人いたんだけど、2人は重傷、もう1人は重体。」
僕は聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がしてならなかった。僕はなぜそのような奇跡的な軽傷で済んだのか・・・。そして一番僕が死んでも良かったのになぜ・・・。
「起き上がれそうですか?」
看護師さんに顔を覗き込まれながら聞かれ、少し照れながらも、
「はい、なんとか・・・。」
僕は従順にそう答えていた。腰よりも上は何とか起き上がれる。僕が起き上がると病室の規模が把握できた。そこそこに広い。窓までの距離は少しある。そして、ベッドは僕のしかなかった。なぜこんな特別な病室なのか。それも一つの疑問として僕の内に秘めることにした。そんなことよりもあのおばあさんの無事が気になった。
「あの、おばあさんは・・・。」
するとその看護師さんは笑顔で、
「大丈夫よ。転んで肩は打ったけど、大したことはなかったわ。でもあなたはこれからが大変ね。」
「はい?」
「だってあのおばあさん実はね・・・。」
そこまで言った矢先、病室にさっきのマスコミがなだれ込んでくる。看護師さんはそれを見ると止めに入る。そのやりとりを眺めていた僕に1人の記者が、
「大丈夫ですか?勇気あるあなたの声を一言お願いします。」
と言ってきた。僕はとりあえず、
「大丈夫です。」
とだけ答えておいた。

数日して―――――
この間、マスコミは全くやって来なかった。きっと病院側が上手く対処してくれたんだろうと感謝しておいた。今日は退院の日、僕の看護をしてくれた看護師さんが笑顔で花束を渡してくれた。僕は精一杯の笑顔でそれを受け取る。でも内心は帰りたくないが占領していた。帰れば、また空虚な日常が待っている。行きたくない学校、帰りたくない家。そこの往復。何の価値もない僕の人生が再び幕を開けてしまう。いっそ死んでいれば良かった。まだその思いを捨ててはいなかった。
「おめでとう。これから頑張ってね。」
その看護師さんの台詞には何かしらの深い意味があったことを僕はこの時にはまだ理解できないでいた。

とりあえず家に帰った。家に帰ると花束をテーブルの上に置き、すぐに家を出る準備をする。花束は置いておいてもここにいたくない。その思いが僕を焦らせていた。とりあえず簡単に家出の準備を整えると、小さな頃から貯めていた貯金箱を破壊する。中から出てきたのは、1万円札が1枚と1千円札が5枚、そして500円玉が5枚ほど出てきた。僕が母から必死になって守ったお金だ。

母は僕のお金も男につぎ込んでいた。小さい頃にお年玉を僕が沢山使ってしまうからと取られたのを覚えていて、後に母に尋ねると、返ってくる答えはいつも、
「あなたが使ったんじゃないの。」
だった。ある日、家の中を探したことがあった。5時間ほど探してようやく見つけた懐かしい袋の中には、一銭も入っていなかった。また、タイミング悪く、母が帰宅、散らかった部屋と僕とお年玉の袋を見た母は、一言、
「ああ、とっくの昔に使ったわよ。」
何の悪びれもない淡々とした一言。僕はその時はさすがに限界にきていて母に飛びかかった。しかし、母は、僕を跳ね除けると、
「部屋、片付けなさい。散らかしたんだから。」
倒れている僕に上から命令してきた。僕はそれ以上逆らえなかった。渋々片付けたのを覚えている。だから次の年のお年玉は、親戚に訳を話して、隠れてもらう分と、母の前でもらう分とに分けてもらった。もらう総額は例年と同じで母が見ている前でもらう方を多めにしないと怪しがられる。だから自分の手元に来る額は微々たるものだった。でも僕はそれで満足だった。もらえるということに満足していた。そうやって少しづつ貯めたお金だ。

僕はスポーツバッグを持って部屋を出た。鍵は要らない。もう戻る気なんてないんだから。僕は路地に出た。このお金で行けるところはせいぜい電車で5時間の所ぐらいまでだろう。ほんとは海外とかまで行きたいが、贅沢も言える状況じゃなかった。僕はとりあえず駅に向かうことにした。

夏―――――
僕にとっていい思い出なんてなかった。唯一嬉しかったのは学校へ行かなくていいということだった。会わなくて済む。それが僕の心に大きな安息をもたらしていた。1つの希望があれば人間は救われるし、生きていけるということを実感していた。その反面、家にいる時間が長くなり、母の顔を見る時間が長くなったのは苦痛以外の何ものでもなかった。いてもすることが何もない。それに母は夏になると男を家に連れ込んでくることが多くなる。だから家を追い出される。それもあって夏はうろうろとしていた。その間に色々見てきた。人ごみ、自然、社会の裏、笑顔、悲しみ、虚しさ、様々な表情を見てきた気がする。ほんの少しでも大人に近づいているのかなとも思った。しかし、それはあくまで僕の基準だった。世間はそんな甘いものではなく、自分の大人な振る舞いなどすぐに崩れた。裏路地で暴力を受けている青年を見てみぬ振り、荷物が沢山で辛そうにしている老人をよそに横断歩道を歩く。結局は自分も社会の中では大人にはなれていない。自分勝手な子どもだ。人に何もしてあげられない弱い存在だ。僕は大人の基準、子どもの基準をこのように捉えていた。当たり前だけど、高い基準。自分をその中に置いて、劣等感を感じている所に自分という存在の実感を得ていた。

駅に着いた。駅から見える電光掲示板に現在の気温が表示されていた。30.4℃・・・。なかなかに暑い。さて、これからどうしてものかと思案している時にその人はやって来た。
「あの・・・。」
僕は完全に無視していた。また僕を罵りにきたのだと思い込んでいたのもあった。しかし、次の言葉でその人の方を向いてしまう。
「先輩ですよね。」
見るとそこには僕の卒業した中学の制服を着た少女が立っていた。雰囲気からして中学3年生のようだ。そしてどこかで見たことがあった。僕は思考を巡らせた。思い当たったのは近所の子だった。
「少し、ほんの少しでいいんです。時間を、時間をくれませんか。」
彼女の言葉は少し緊張しているようにもとれた。僕は、この街に未練があるわけではなかったが、少しくらいならまだとも思った。だから彼女の問いに頷いていた。

彼女は駅近くの公園に僕を連れてきた。ここは小さい頃、よく独りで遊んだ。楽しい場所だったのを覚えていた。丁度見納めになるのでいいと思った。彼女は僕をブランコの近くに連れてきた。子どもの姿はない。昼間近だからだろうか。それとも現代っ子の風潮である家でゲームというのがここにも波及しているのだろうか。そんなことはどちらでも良かった。気になるのは彼女がなぜ、ここに僕を連れてきたのかだった。ある程度の距離を置いて、彼女は僕の方を向いた。
「先輩。あの・・・その・・・。」
はっきりしない。何かもじもじしているようにも見えた。彼女の顔は少しうつむき加減なのであまりはっきりとは分からないが、少し赤くなっているようにも感じた。しかし、今の僕にはどうでも良かった。これから先のことで頭がいっぱいだったからだ。
「先輩。私のこと、覚えてますか?」
絞りだした答えがそれだった。僕は少し思案したように見せて、頷いた。しかし、その後彼女は沈黙してしまう。僕は公園も良いとは思ったが、長くいたいとも思わなかったので、
「急いでるんだけど、用件は何?」
と少し冷めた口調で言った。彼女は、
「ごめんなさい。」
と謝った。僕はその素直さに彼女に対しての口調を心の中で軽く謝った。
「先輩。どこか行かれるんですね。」
彼女は僕のスポーツバッグを見て行ったのだろう。僕はこれで彼女と会うのも最後だろうと思い、
「今日であの家を出ることにした。」
そう告げた。すると彼女は驚いた。当然だ。いきなり家出の告白なんて普通はない。僕はこれで彼女の用件が早く済むと思った。すると彼女は驚いたと同時に悲しい顔になっていく。僕はなぜ彼女がそんな顔をするのか全く分からなかった。次の瞬間、
「先輩!!」
彼女はそう叫んで、僕に抱きついてきた。僕は何が起きたか理解できず、立ち尽くしていた。
「行かないで下さい。先輩、私・・・私・・・好きなんです。先輩のこと、先輩が中学の頃からずっと・・・。」
それが、彼女が僕を公園へ呼んだ理由だった―――――――

正直僕にとっては意外な展開だった。何か重大な話とは思っていたが、まさか僕への告白だとは思わなかった。告白。僕にとっては新鮮な響き。今まで、告白どころか、友達もいない、異性と話すことなんてなかった。しかし、それでもこうやって僕を見てくれている人がいるのは嬉しいことだ。それと同時に何かの罠かとも勘ぐってしまう。これは今までの人生経験の賜物といってもいい。よくない癖だが、こういう個性が確立してしまったのだからどうしようもない。
「先輩?」
彼女が僕の顔を覗き込んでくる。しかし、僕は目を逸らした。これも変に身に着いてしまった悪い癖。そして僕は思考する。彼女と上手くいく想像なんて、皆無だった。
「君はどうして僕なんか・・・。」
最初に突いて出た言葉はそれだった。言ってから後悔した。彼女に対して失礼だと・・・。しかし、彼女はそれについては何も触れず、
「中学の時から見てました。私、先輩に助けられてるんですよ。去年。」
僕には記憶がなかった。去年といえば、高校受験で家で勉強しかしていなかったはず。
「覚えて・・・ないんですね・・・。」
「あぁ・・・。それに、僕といても不幸になるだけだ。君を助けた人はもっと僕なんかよりもずっと優しい人だよ。」
僕はそれだけ告げると、抱きつかれた拍子に肩からずり落ちていたスポーツバッグを肩にかけ直し、
「もう、会うこともないと思うから、僕の存在は君の中から消してくれ。」
そこまで告げて、彼女の目を見ることなく公園を後にする。彼女の泣き声がかすかに耳に入るが僕は振り返る気にもならなかった。

再び駅に戻ってきた。完全に未練はなかった。これでこの街から出れる。そう思うと、気持ちが楽になった。切符を買おうと思い、券売機の前に立つ。しかし、すぐに目的地が決められなかった。とりあえずここから一番遠い切符を買うと来た電車に乗る。ようやく、出れた。檻から解放された動物のような心境だった。これで、これで・・・。僕は窓から今まで忌まわしい記憶しかない街の風景を見つつ、自然と目から水がしたたり落ちていた・・・。

とりあえず、席に座る。切符はここから電車で2時間先の町まで出れそうだった。僕の住んでいる街は都市部で、そこから離れるとほとんどが田舎である。僕は少しづつ見たことない風景が出てくるたんびに胸が躍った。これから誰にも気兼ねせずに生活ができる。周りの目を気にすることもなく、萎縮することもなく伸び伸びした生活が。僕は希望で胸を膨らませていた。その先の苦労なんて考えていなかった。ただただ解放されたことが嬉しくてたまらなかった。この電車の終点まで、行こうと思った。できるだけ遠くへ、誰も知らない土地へ、世界へ出たかった。

世界・・・。
ここでもこれが付きまとう。
世界の中に自分という存在がいる。
これは変わらない事実。
しかし、その世界は自分の考え一つで変わる。
自分のいた世界。そしてこれから行く世界。
果たして、違う世界になっているのだろうか。
自分はその世界で今までの自分を変えることができるのだろうか。
変わらなければそれは・・・。

着いた・・・。そう・・・。終着地点。僕の人生の希望と絶望の分岐点となるであろうその地に。そこは無人駅に木製の駅舎という時間がゆっくり流れていそうな所だった。駅舎内にある木のベンチに座りながらこれからのことを考えた。無計画過ぎたが絶望はまだ感じなかった。スポーツバッグを開けると、野宿道具は揃っていた。お金も多少あった。数日のうちに、働く所を探さないとなんて考えていた自分がいた。人は一つの希望からいくつもの可能性や希望を見出す存在だと実感していた。今は少し休憩しようと思い、ベンチで仮眠をとろうとバッグを枕にしてベンチに横になった。すぐに睡魔はやってきた。今までの抑圧していた精神を解放したので逆に疲れたのだろうと思いながら、そのまま、深い眠りへと落ちていった。

真っ暗な世界。僕のこの先を暗示しているかのような暗黒。まだ過去に囚われている自分がここにいた。いや、これが自分なんだ。自分は感情を表にあまり出してはいけないと環境が思い知らせてくれた。そして、人を信じてはいけないということも。そして希望を持って生きてはいけないということも。しかし、希望は持ってしまった。僕がしてはいけない3つのうちの1つはその世界から離れることでいとも簡単に・・・。僕は死んでしまってもいい存在なのになぜか希望を持ってしまう。それが人間が自然と望む希なのだろう。だから捨てよう。希望なんてものは今すぐ。早く、それがあるから僕は・・・僕は・・・。
「じゃあ殺してあげよっか。」

僕はその声で目が覚めた。すると僕の顔を覗き込む少女の姿があった。
「うわっ!!」
僕は驚いて飛び起きた。彼女の方もびっくりしたらしく、驚きの顔でおののいていた。僕は感情を表に出してしまったので、すぐに冷静な無表情に戻ると、
「あの・・・。何か。」
とそっけなく尋ねた。すると少女は、
「殺してあげよっか。あなたを。」
僕はその言葉の意味が分からなかった。この少女は何者なのか、そしていきなりなぜそんなことを言うのかもさっぱりだった。少女は僕の顔を覗き込む。
「う〜ん、やっぱやめた。何か殺してくださいって顔してるしね。」
「人を顔で判断するな。」
「さっき寝言で言ってたからそうして欲しいのかなと思って冗談で言ってみたんだけどね、何か本気っぽいし、だから冗談で言うのは申し訳ないと思って。」
少女は軽い口調でそういうと、
「んで、こんな所で何してるんだい?少年。」
こう続けてきた。僕は二度も感情をむき出しにしてしまったので、この少女は何者だと思った。今まで、感情を殺してきたのがバカらしくなるほどだ。
「なぜ、君に言う必要がある。」
「ん〜ちょっと疑問だったから。ここで寝てる人なんていないから。」
「そうか、邪魔したな。」
僕はバッグを背負うと駅から出た。
「答えになってないよ!!どうしてここにいるの?ねぇってば!!」
僕は彼女を完全に無視していた。ややこしい奴に出会ったものだと思いながら、どこともなく歩きだした。彼女は僕の後ろを話しながらついてきた。僕は無視し続ける。それでも彼女は僕の後ろをついてくる。10分ほどしてもそれは変わらなかった。しびれを切らした僕が振り返り、
「なんだよ。何かあるのかよ。」
「私の勝ち〜〜〜。」
最初何のことを言ってるか全く分からない。しかし、それが話しかけたほうが負けという我慢ゲームだと仮定すると話がつながってくる。
「何か・・・調子狂うな・・・。」
僕が小声で言うと、
「ん?何か言った?」
とすぐに応答があった。地獄耳かと思いつつ、
「いいえ。」
とそっけなく返しておいた。完全に向こうのペース。しかし、今までの重苦しい感覚は全くなかった。なぜかそれが心地よくも感じられた。悪い感じがしない。こんな感情になっていいのかと迷うほどだった。
「どこ行くの?」
「関係ない。」
「あなたこの辺の人じゃないよね?」
「関係ない。」
「こんな田舎に何の用?」
「関係ない。」
「ならいいや。んじゃね。」
少女はそのまま面白くなさそうに去って行った。ようやく一人になって、少しのんびりできると思い、歩き出して、数分後、舗装された道路と農道の分岐の道で、
「わっ!!!!」
っと脇道からいきなり驚かせられ、
「わ〜〜〜〜!!!!!」
僕はびっくりして尻餅までついてしまった。
「きゃはははははははははは!!!!!!!!」
少女は純粋に無垢に笑っていた。僕はその少女の笑顔になぜか癒されていた。今までの心が全て奪われる感覚。何かすごく色々マイナスな感情が払拭されていくのがよく分かった。僕は自分で戸惑っていた。
「どうしたの?」
少女はそんな僕の顔をやさしい顔で覗き込んでくれる。僕の中で、今までの過去の出来事が一瞬で吹き飛んでいた。
「くっ、はは・・負けました。」
もはや感情を隠すことはできなかった。
「ん?どうしたの?」
「君に早く会えていれば僕は変わっていたかもしれませんね・・・。」
僕は空を見上げた。青い青い空・・・。今まで僕はここまで空が青いと感じたことがなかった。これが希望を持てる理由なのかな。人はこの空を見て色んな夢や希望を持てるのかな・・・。僕にはそんなことに気づかなかっただけなのかなと思えるほど今のこの空は印象的だった。そしてその空の下にいるこの少女も印象的な人だった。しかし、僕の根本的な考えが変わったわけではなく、どこかで自分の存在意義を考えていた。希望は僕でも持っていいことはこの少女によって証明された。僕はそれだけで嬉しかった。

「ふ〜ん、一人旅か。」
ここは舗装された坂の中腹。僕と先ほどの少女はコンクリートに肘を突いてそこから見える自然を堪能しながら会話をしていた。僕は今まで抑圧されていた反動なのだろう、かなり色んな話をした。そんな中でその少女は最初してきた質問を話の流れに合わせて尋ねてきた。
「こんな所で何してるんだい?」
僕は素直に答えようとも思った。しかし、深く追求されたくなかったので、咄嗟に一人旅と答えていた。
「でもこんな所に来て何するの?」
「都市部の人間は時として自然を求めることもあります。」
こんな流暢に会話している自分が不思議でならなかった。今まで、表に出さず、自分の心に中でとどめていた声。それが今初めて会った少女に何の戸惑いもなく出来ている。この心境の変化は自分でも分からなかった。
「そんなもんかな〜。」
少女はコンクリートの上に立つと、坂を下り始めた。少しづつ日も下り始めていた。僕はその姿を黙って眺めていた。
「ん?どうしたの?」
「いや・・・元気だな・・・と思いまして。」
「これだけが私のいい部分だからね。」
少女は少しトーンを落とし気味にそう答える。何かあったのだろうとは思うが、僕も詮索されたくないので、しないでおいた。
「で、今日はどこかにお宿は取ったのかな?」
さすがに野宿とも言えず、しかし、何と弁解したものかと少し悩んでいた。
「何か決まってない感じだね?」
「今日は日帰りのつもりでしたから。そろそろ日没も近いですし、帰ります。」
僕は歩き始めた。居心地の良さに、何も考えていなかったことを後悔した。とりあえず、これ以上彼女と一緒にいるのは良くないと思い、足を動かして、駅の方角へ行こうと思って行動に移した所で、彼女が、
「そんなに荷物持ってるなら、うちに泊まっていっても問題なしだね。うん。うちに来てよ。」
僕は耳を疑った。初対面の人間に言うはずのない発言が聞こえた気がしたが、流しておこうと、足を止めないで歩き続ける。すると彼女は僕の前に立ちはだかった。
「聞こえなかった?私のうちに来る。はい決まり。決定。」
そう言って僕の腕を引っ張って、駅とは反対の方向へ連れて行こうとする。こうなったら意地でも駅に向かってやる。僕の闘志がなぜか燃えてきた。僕は力いっぱい、前に向かう、それを彼女は無理矢理押し戻す。そんなやりとりが数十分続いた・・・。


さて、僕は駅に着いた・・・のではなく、彼女の家に辿りついていた・・・。
夕暮れ時、純和風の日本家屋の前に僕と彼女は立っていた。
「到着☆ほら、早く中に入って。」
断りきれない性格。僕は良く分かってはいた。これがあって僕はいじめのターゲットにされたのも良く分かっているのだが、この性格だけは誰に対しても出てしまうようで・・・。非常に優柔不断・・・。
「どうしたの?入らないの?」
「やっぱり、僕は、いいです。」
僕はすぐに回れ右して帰ろうとした。彼女は、それを止める素振りも見せず、
「いいよ。でも、駅に戻れるかな?ここは初めての土地でしかも田舎。都会と違って、道は入り組んでいて分かりにくいよ。」
「道は覚えてますから。」
「でもでも、駅に着いてももう電車はないよ。」
「いいです。別に家に帰るわけじゃないですから。」
「えっ・・・。」
僕はバッグを持って走り出す。そう、これで良かった。つかの間の夢だった。楽しいひと時だった。でも長く続いてしまうことはない。今までのようにどこかで終わる儚いもの。だからこのまま良いままで終わらせたかった。だからこれでいい。これが一番理想な形・・・。
「待って!!」
彼女は追ってくる。僕は逃げるのは得意だ。どこかで、彼女はあきらめて帰るだろう。だからとりあえず逃げる。彼女が追ってこない所まで。でも内心分かっていた。彼女はあきらめないと・・・。
「待って!!私はあなたともっとお話がしたいの!!詳しい事情なんて聞かない。ただ、あなたと話がしたいだけなの!!」
僕は少しずつ逃げる速度が落ちていた。いや、落としていた。ここにいてはいけないという自分と、もう少しだけならという自分。その葛藤の中に今までの自分の過去を重ね、もう、戻りたくないとする思いが強く出ていた。それが僕をここへ引きとめようとする。しかし、いくら過去に戻りたくないとは言っても、過去はあの街を出た時に捨ててきた。それに縛られていないのだから、ここに世話にならなくてもすでに自由だ。だからここに迷惑をかけてはいけない。それを考えながら僕はまた驚いていた。自分のことを考えることで精一杯だった自分が少しでも人のことを考えようとしている。それもこれもあの事故の時におばあさんを助けようとしてからだ。
「捕まえたっ!!」
そうこうしているうちに彼女に腕をつかまれ、僕の逃亡は5分で幕を閉じた。
「どうして逃げるかな。」
「・・・。」
僕は答えなかった。さすがに彼女の好意を踏みにじった最低な人間に見えたことだろう。それで縁が切れるのも流れだと思って割り切った。
「行くよ。ここまできたら絶対泊まっていってもらうんだから。」
彼女はムキになっていた。僕はそんな彼女の表情に驚きと安堵を覚えていた。何か安心しきっているなとも思ってしまう。しかし、彼女はなぜここまで僕に・・・。その疑問が離れない。
「あの・・・。」
「ん?」
彼女がまた、僕の心を覗き込もうとするかのようにまっすぐな瞳で見つめてくる。今までに見たことのない瞳。それは僕が望んでいたことかもしれない。人に気にかけてもらえること。俗な言い方をすればかまってもらえること。僕にはありえない、これまでもそしてこれからもないと思っていたこと。それが今、目の前で繰り広げられている。僕は尋ねるのを少し戸惑った。でも、聞きたかった。自分の世界から少しでも外へ出れるなら聞きたかった。

なぜここまで僕に笑顔で話しかけてくれるの――――――――

「いえ・・・。」
結局尋ねなかった。一歩が出なかった。やはり彼女の目を気にしていた。彼女の心の内を探っていた。分かるわけがないのに。
「んじゃ、戻るよ。」
彼女は僕の手を引っ張って家に戻る。僕はその繋がれた手にすごく意識が向かった。今までにないことずくしで、頭が混乱していた。

「ここで待ってて。」
再び家の前。彼女は僕を純和風の大きな門の前に待たせて、家の中に入って行く。外は日が落ちて、闇が辺りを包み込んでいた。僕は考えた。彼女の思惑とは何なのか・・・。まだ信じきれていない。彼女は僕のことをどう見ているのだろうか・・・。まだ素性の知れない僕を招き入れるというのは警戒心がなさ過ぎるのか、それとも僕のことを信じているからか・・・。後者ではないと僕の中では勝手に判断しておくことにした。そうこうしているうちに、彼女が出てきた。
「はい、どうぞ。」
「ほんとに、いいんですか?」
僕はやはりそこが疑問だった。彼女は何言ってるの?みたいな顔をして、
「君と友達になりたいからだよ。」
なんてさらっと言ってのけた。僕は、夢だと思った。こんなに上手くことが運ぶはずがない、出来すぎていると思う。一泊させてくれるなんて何という運命の巡り合わせなのだろうか。
「お・お邪魔・・・します・・・。」
「はい、ど〜ぞど〜ぞ。」
僕は門をくぐった。すると、入って右手に日本庭園が見える。枯山水というものなのだろうか。素人の僕が見ても素晴らしいと感じるものだった。それもそこそこ大きい。左手には小さな池があり、鯉が優雅に泳いでいるのが見える。僕はそれらに目を奪われていた。すると彼女が一言、
「この辺じゃ普通だよ。」
なんて言われたから、僕の田舎の見方が少し変わった気がした。僕はそのまま、石段をゆっくり渡って、玄関に着いた。
「ただいま〜。帰ったよ〜ばぁちゃん。」
さっきは言わなかったのかなんて疑問を心の中で思いつつ、僕も玄関へ入る。緊張しているのがよく分かる。手に汗がじわじわと出てきていた。彼女は家にあがるとそのまま、応接間らしき部屋に入って行く。僕はどうしていいか分からず、玄関で黙って待っていた。すると奥で動きがあったのか、
「とりあえず、挨拶しなきゃいけないねぇ。」
おばあさんの声が聞こえて、奥からおばあさんがこっちへ向かって・・・こっちへ・・・。
「えっ・・・。あの・・・。」
「あら、君は、確か・・・。」
僕もおばあさんも驚きを隠せない。それは僕があの時助けたおばあさんだった。こんな偶然はそうそう起こるものではない。僕は上手く行き過ぎているという思いが抜けなかった。何かこれから不幸の連続なのかと思ってしまうほど、ありえない所でありえない形での再会となった。
「大丈夫でしたか?お怪我はなかったですか?」
僕は無意識に聞いていた。おばあさんのことがずっと気になっていたからだ。
「ありがとう。大丈夫だったよ。私も探していたんだ、お礼が言いたくてね。」
「良かったです。ほんとに。」
僕はすごく安堵した気持ちになった。あんな僕でも人の役に立てたという喜びが心を満たしていた。死ねればよかったという気持ちは自然と消えていた。人の心はこんなにも切り替われるものなのかと思った。僕は生きていて良かったんだとこの時初めて感じることが出来たのかも知れない。
「ばぁちゃん、この人と知り合いだったんだ。」
彼女も驚くと同時に嬉しくなっているのが、表情で見てとれた。
「そうだよ。命の恩人さ。」
「ありがとう。私からもお礼を言うよ。」
「い・いえ・・・。」
照れくさかった。彼女は続ける、
「で、君の名前を教えてくれるかな。命の恩人さん。」
「僕の・・・名前・・・。」
そういえば今まで、彼女の名前も知らないし、僕も彼女に言っていなかったことに今気づいた。そして僕は今まで人に名前を尋ねられたことがなかったこともこの時思い出す。いつも、「おい」や「お前」や「そこの」など、名前で呼んでもらったことがない。呼んでもらっていたとしても、覚えていないぐらいだった。だから僕にとってこれは新鮮だった。人に名前を告げるのは・・・。自己紹介をするというのは・・・。
「僕の・・・名前は・・・。」

そう、僕の名前は―――――――――





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