NaughtⅠ 小さな出逢い<K.G 作>
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・。」 駅のホームへの階段を一生懸命に駆け上がる一人の青年。スーツ姿の彼は、汗を飛ばしながら全力疾走だった。 「豊杉線、最終電車まもなく発車します。お乗り過ごしのないように。」 構内アナウンスが流れる。その声は深夜だからなのだろう、少しだるそうだった。 「もう少しだ、待っててくれよ!」 すでに電車は到着し、ドアが開いていた。プルルルルルルルル。発車のベルが鳴り響く。 「やべっ!」 青年はようやく最後の段を越えホームに着いた。そして本日最後の電車に目を向ける。近くのドアを見つけ、急いでそこへ向かう。今にも閉まろうとするドアに滑り込み、セーフ・・・。
という想像はからくも打ち消された・・・。
「ちょっ・・・待てって!」 残念なことに彼の前でドアは閉まる。そのまま彼を取り残して電車は感情のこもらない電子音の汽笛を鳴らしホームに別れを告げた。ゆっくりと動き出す。ここまでくれば止まってはくれない。彼は結局乗れず仕舞いだった・・・。彼はやるせない気持ちと大きな脱力感を感じていた。 「はぁ・・・。なんだってこんなことになるんだよ・・・。」
彼は脱力して近くのベンチに座り、一応時間を確認しようと腕時計を覗き込む。時刻は午前1時9分。普通ならもう就寝している時刻・・・。青年は今日、新人研修で近くの仕事場近くの営業所に出かけていた。終わって帰れるのかと思いきや、仕事場での仕事が残ってるとのことで、それをしに自分のデスクに舞い戻り、それをこなした時には日が1日過ぎていた。急いで会社を出て、今この有様である。
「まぁ・・・明日休みだからまだ何とかなったけど、仕事なら身体もたないな・・・。」 これが社会の洗礼なのかと思いながら青年は携帯を見る。メールを2件受信していた。1件目は、同僚の人からこれから飲みに行かないかという内容のもの。それ自体4時間以上も前の内容だ。それを見る余裕がないくらい忙しくしていたのだなぁと青年は思った。もう1件は今少しもめてる彼女からのものだった。
彼女と付き合いだして約2年。大学時代の友人から発展した関係だ。二人とも新社会人となり、会うどころか連絡すら疎遠になっていた。環境が変わると自然と疎遠になるよくありがちなパターン。そのパターンにまんまとはまっていた二人は少しそこからす感情のすれ違いを起こしていた。ささいなことでのいざこざ。今回もお互いの都合で会う機会がなくなったことに「私と会う時間を少しは取れないの?」とか、色々と言ってきたことに彼が少しうんざりしてしまったようで、少しメールや電話の返しを遅くしているようだ。
彼女からのメールは少し長めの内容で、これからの二人のことについて書かれていた。やはり少し後ろ向きの内容のようで、青年は少しうんざりとして表情でそれを眺めていた。そのメールは1時間ぐらい前に受信されていた。
「後で返そう。」 青年は携帯を見るのをやめて、真っ暗な空を見上げた。その後にホームの電気が落ち、早くも長い夜が始まった。 「まだ晴れてる夜空ってのが救いだな・・・。」 青年はそれをゆっくりと仰ぎ見た。都会とはいえ少なからず星が見える。青年は少しそれに癒される。しかしそんな現実逃避などすぐに現実が追ってきて元に戻される。暗黒の中、青年は携帯のライトと町のネオンを頼りに、とりあえずホームから退散することにした。 「はぁ・・・。」 出るのはため息ばかり。切ない気持ちを背負ってホームから駆け上がってきた階段に向かう。階段を下ろうと一歩を踏み出した時だった。 「あなたも・・・一人ですか?」 後ろから声をかけられ、青年は少し驚いた。ゆっくり振り返ると、そこには小柄な女の人が立っていた。服装は黒を基調としたワンピースのようで、見方によってはゴシックロリータのような印象も受けた。そして右手には服にあったバスケットのような鞄が握られていた。 「あっ、ああ。あなたもですか?」 青年はその女性にそう尋ねた。女性は言葉では返さず、頷き返した。 「どう、されるんです?これから。」 「ここで、始発を待つつもりです。明日も何もないですから。」 「そうですか。」 青年は少し現実離れしているように見えたこの女性と少し話したいと思った。 「私も時間がありますから良かったらどこかでお話しませんか?」 青年は女性を誘う。女性はそれを聞いて嬉しそうにはしたが、 「あの・・・私、人が多い所は苦手で・・・。」 申し訳なさそうにそう言った。青年はそれを聞いて、 「ではここで話しましょう。あっ、何か飲み物買ってきますよ。」 そう言って下へ降りようとする。 「大丈夫です、ノド渇いてませんから。」 「でもね。少し待っててください。」 青年は階段を降り、飲み物を買いに出た。女性はそれを静かに待っていた。
‐5分後‐ 「お待たせしました。コーヒーと紅茶どちらにします?」 「では・・・紅茶を頂きます。」 階段とホームの境の一段目に腰掛けながら青年は女性に缶のレモンティを渡す。女性はその缶を見つめている。それを見た青年は、 「あっ、レモンティって勝手に選んでごめんなさい。ちゃんと聞いておけば良かったなぁ。」 「いえ、ありがとうございます。」 缶のタブを2人同時に空け、一口飲む。彼女も少し口をつけた。すごく平凡な日常の風景。でも、その時間と場所はすこし変わっていた。 「あの・・・聞いてもいいですか?」 青年は女性に質問する。 「どうしてこんな時間に?」 すると彼女は、 「その・・・あの・・・家を出てきたんです・・・。」 そう答えた。青年は少し真剣な面持ちで、話を続けるように促した。彼女はゆっくり少しずつ、しかし、しっかりとした口調で続けた。 「今・・・私・・・2人暮らしなんです。去年、結婚したんです。今日で丁度1年になります・・・。それで、幸せだったんですけど・・・。3ヶ月前から・・・その・・・。」 そこで女性は言いよどんでしまう。青年は、話の続きが気になった。 「良かったら、話してもらえませんか?あ、誰かも分からないのでは話しにくいでしょうね、私、細田 康弘(さいだ やすひろ)と言います。」 細田は自己紹介する。女性も細田の自己紹介に合わせる形で、 「宮鈴 美代(みやすず みよ)です。」 「宮鈴さん、良かったら、続けていただけますか?」 細田は再度促した。宮鈴は頷いて続きを話し始めた。 「3ヶ月前から、その・・・ちょっと言い争いが増えて・・・。」 「喧嘩ですか?」 細田が相づちを打つと宮鈴はそれに応えて頷く。 「でも、急になんでそんなことに・・・。」 「実は・・・私の夫、結婚前から・・・私以外に付き合ってる女性がいて・・・それで・・・。」 「そうですか・・・。ごめんなさい少し突っ込んだ話になるんですけど、でもそういうの結婚前に清算しておくとかって話にならなかったんですか?」 細田は細かい所へ話を持って行った。宮鈴は少し、言うかどうかとまどっていた。 「あっ、ごめんなさい、やっぱり突っ込んだ話でしたね・・・。」 「いえ・・・あなたになら話せそうですから、言わせて下さい。」 少し話す気になってくれたようだ。細田は宮鈴の話に耳を傾ける。 「細田さんの言われるように・・・その・・・話は出ました。でも・・・彼はその時は・・・分かってくれていたんです・・・。」 どこかでよく聞く話だ。しかし、よく聞く話ではあるが、そんな状況に陥った人に会う機会はなかなかない。テレビでも統計を取るとこんな現象が多いなどと言われることは大抵現実にそう転がってるものではない。 「でも結婚後もそれは変わらなかった。だから家を出てきたんですね?」 「・・・はい・・・。」 すごく、おとなしく落ち着きのある人だった。細田は宮鈴をかわいそうだと感じていた。そんな時に携帯の電話が鳴る。細田は携帯のディスプレイを見ると、彼女からだった。さすがに出ないとマズいと思い、 「すみません、ちょっと電話してきます。」 彼は暗がりの方、ホームの奥の方へと向かうと通話ボタンを押す。 「ちょっと、メールぐらい返しなさいよ。」 やはり彼女はご立腹のようだ。 「悪い・・・それがさ・・・。」 細田は現在の事情を彼女に話した。 「・・・あきれた・・・。」 一通り説明した後に返ってきたのはその一言だった。 「悪かったな。」 「でもどうするのよ?朝までそこにいるつもり?」 「まぁ同じ境遇の人もいるし、その人と朝まで話でもしてるよ。」 「同じ境遇の人?」 「ああ。何でも家出してきた人みたいでさ・・・。」 「家出・・・。」 彼女のトーンが少しずつ低くなってきた。細田は何かあるのかと思い、 「ん?どうした?」
「誰と・・・お話しているんですか?」 突然背後から声。細田はびっくりして、携帯を落としてしまう。 「ねぇ・・・それって・・・まさか・・・。」 彼女が話すが、すでに彼には聞こえていない・・・。 「誰とって・・・彼女・・・だけど・・・。」 「そうですか・・・それは・・・お邪魔しました・・・。」 宮鈴は細田に背を向けて、歩き出す。細田は、携帯を持ち上げると、 「ごめん、何だって?」 電話口から話すが、すでに通話は切れていた。 「やはりみんな私より幸せを取るんですね・・・。残念です・・・。」 宮鈴は、細田の方に向き直る。するとその手には、死神の鎌のような刃物を持っていた。 「えっ・・・。」 細田はもう一度携帯を落とした。 「この世に言い残したことはありますか?」 「ど・どういうことですか・・・?」 細田は恐怖で動けない。宮鈴は構える。 「あなたは私の運命線の中に入ってきたから、死ななければならないの。ごめんなさい。」 言葉ははっきりとかつ流暢になっていた。それに細田は死ぬ間際で気付いた。
それは一瞬の出来事―――――
彼の首は一閃で吹っ飛び、そこから大量の血が吹き出る。頭は暗がりに転がっていき、残った肢体は壊れたマネキンのように手足をあらぬ方向へ曲げながら崩れ落ちる。その血しぶきを浴びながら、宮鈴は鎌を肩に担ぐような格好で、口の周りの血を舐めながら、肢体と頭の切断面を暗闇の中で観察する。
「まだ・・・上手く切れてない・・・。これじゃダメ・・・。」
口調は前のたどたどしいものに戻っていた。宮鈴は鎌をどこかへしまうと、持っていた鞄を肩に提げて、線路に降り立つ。
「また上手くいかなかったよ。」
虚空に向かってそんな独り言をつぶやきながら彼女は線路を歩きだす。
そう・・・それは短く小さな出逢いであった・・・。
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