君と僕との存在は (中)<K.G 作> 〜想い〜
心の温かさを感じるのはいつからだろう————
自分という自覚が出始めてからだろうか、それとも誰かの思いやりを感じた時だろうか、それとも、
好きという感情に支配されたときからだろうか————
縛られた世界からの脱却。それは僕の心を温かく、そして気持ちよくさせてくれた。ようやく僕の人生が始まったようなそんな感覚。だから急に自由になったことに戸惑いを感じずにはいられなかった。何をしていいのか分からない。こんなに幸せに感じていいのか分からなかった。何でも出来そうな、そんな気さえさせてしまう。
しかし、その反面僕の中にあるもう一つの思いは僕を断罪してくる。親を捨て、全てをリセットしたくて逃げた自分に対し、臆病な自分に対し、
そんな人間に生きる価値はないと・・・。
これからだという僕に対して容赦なく、そして時と場所を選ばず、常に隙を狙ってやってくるその思い。僕はそれにどこまで耐えるのか、それを払拭するほどの生き方が出来るのか。今僕は何かに試されているのではないか。そのように感じていた。この感情のせめぎ合いを契機として。
僕はあの家にいた頃、母の姉に助けられていた。
僕は生まれてすぐ、母の姉に預けられていたようだ。母が父との離婚を成立させ、シングルで子どもを育てていこうと決意してから母の姉は僕の母代わりになって、日中の面倒を見ていてくれたようだった。母の姉は子どもを産むことができない体だった。だから本当の子どものように育てていてくれた。しかし、僕が物心つく少し前のこと。母と母の姉は僕のことで大喧嘩をしたようだ。それは母の僕に対する接し方を正したことに始まり、そこから大きな喧嘩に発展。やがては僕を取り合うということにまで発展する。その場では母が改善するということで落ち着いたそうだが、その後、母は母の姉に内緒で家を引越し、そしてそれ以降僕は母から育児放棄という虐待生活に入っていくことになった。次に母の姉に会ったのは、小学校低学年の時、墓前でだった。母と別れた後、風邪をこじらせ肺炎にかかり、発見が遅かったとのことだそうだ。亡くなる寸前まで、母の姉は僕のことを心配してくれていたらしい。今までの話は僕が小学校高学年になって初めて親戚から聞かされた話だった。
それを思い出すと先ほどの思いが頭をもたげてくる。母の姉、親戚に助けてもらっていたその思いを無下にしたという気持ちも出てくるのは当然だ。だが、僕にはそれ以上に耐えられないという感情が勝っていた。あそこで頑張るなど不可能だった。相談できない環境にあるのにどうやって立ち向かえと。ただ抑え込むことしかできない世界で僕はどう外に発信していけばいいのかと・・・。
だから自分の行った行動を正当化するのか。考えれば違う答えが導き出せたのではないのか。何も考えず思ったまま行動したことが果たして良かったのか。これなら自分で人生に区切りをつければ良かったのではないか。その方が、彼女も幸せに過ごせたはずなのに。こんな思いが僕の中を駆け巡って・・・。
ん?彼女も・・・?
彼女とは誰のことだ。固有名詞では誰に該当する。それは駅で告白された人か、それとも駅で出会った人達か、それとも商店街で出会った人か。そこにぶつかった途端、今までの熱を帯びた感情のせめぎ合いは一時休戦に入る。そして、
誰のことを指すのかは僕の中ではまだ分からないままであった————
「そこにトラックからケース降ろして積んどいてくれ。」
酒屋の主人、富原正一氏にそう言われ、僕は軍手をはめながら、
「分かりました。」
一言告げて、軽トラックの荷台にあるビール瓶の6本入ったケースを見ていた。荷台にぎっしりと積んであるケースは今朝、正一氏が卸してきたものだ。僕は首にかけていたタオルの端で額の汗を拭うと言われた作業に取り掛かる。
季節は夏————
現在は学校は夏期休業。夏休みである。僕はこの酒屋の娘である富原みかささんに誘われてバイトとしてこの夏休みの期間、働かせてもらうことになった。そのお誘いは約半月前にさかのぼる。
-約半月前-
昼下がり、玄関のチャイムが鳴る。僕は、玄関を抜け、門まで出迎えることにした。
「いらっしゃい。」
「こんにちは。案内に来ましたよ。」
彼女、富原みかさは笑顔で僕の出迎えに応じてくれた。
「では、こちらにどうぞ。」
僕はとりあえず、自分が今居候している部屋へと彼女を通そうと玄関を上がる。すると目の前に深月の姿が。
「みかさ〜。いらっしゃい。」
「お邪魔しますね。」
「ともや、あなたまさか自分の部屋にみかさを連れ込む気じゃないでしょうね?」
「連れ込むとは人聞きの悪い。そこの方が周りが気を遣わないで済むかと思ったんだけど。」
「ダメ!!彼女じゃあるまいし、自分の部屋に通すのはおかしいわよ。居間になさい。」
「それは考えたよ。でもそここそ一番気を遣うし・・・。」
「何言ってるの。ばぁちゃんだって私だって気は遣わないわよ。ほら、入った入った。」
深月は僕の意見も聞かず、強引に居間へと富原さんを連れていった。僕もそれに続いて入った。
「さて、みかさ。内容を手っ取り早く教えてくれる。」
深月が居間のテーブル前に富原さんを座らせると早速尋ねていた。主導権は完全に深月にある。僕は黙って話を聞くことにした。
「といっても改まった話でもないんですけど、単純に酒屋の手伝いをしてほしいだけなんですけどね。」
富原さんは僕の方を見て話をしてくれる。僕はそれに対して、
「その・・・時給とかって聞いてもいいですか?」
「そうですね。そんな話も必要でした。いくらがいいですか?」
富原さんがそんな質問をするものだから僕は驚いてしまった。それは僕だけではないようで、
「えっ?時給を交渉するの?」
僕の斜め前に座っている深月も例外ではなかったようだ。
「それがお父さんに信田さんのこと話したら、本人に聞いてこいって言って、私も最初びっくりしたんですけど、居候って話してたんで、お父さん昔苦労してたからこんな話になったんだと思います。」
僕はその時、富原さんのお父さんの情の深さに心の中で感謝した。
「でも、高額は要求できないわよ。いくらなんでも。」
深月の言う通りである。それに僕はバイトの経験がない。なので、最低賃金より少しいい時給をと伝えておいた。
「え〜っとですね、あとは夏休みですので朝9時から夕方の五時くらいまでみたいです。私もたまに手伝ってますから何かあれば聞いて下さいね。」
「富原さんも手伝いに出るんだ〜。」
僕はつい嬉しそうに言ってしまった。言った瞬間しまったと思った。斜め前の人物の後姿を見る。何かいつもと違う背中が見えますよ深月さん・・・。
「と・も・や〜。今の言葉、どういう意味かなぁ〜?」
「えっ、あの・・・その・・・いや、同僚が一緒にいて良かったなぁ・・・と。」
僕はすぐに居間から出る準備をすべく居間の出口に体を向ける。そして一気に走りだ・・・。
「無駄よ。待ちなさい。」
僕の服の襟を掴んだ深月がそこにいた。
「ちょっ・・・あっ・・・ごめんなさい。」
僕はとりあえず素直に謝るのが得策と考え、謝ることにした。最近、深月が僕に対して厳しい。厳しいのは別に悪いわけではないのだが、なぜか富原さんのことになるとやたらと口うるさくなる。僕は今まであまり深い人間関係や付き合いをしたことがないので、その辺りのことがよく分からない。しかし、こうして深月が色々と僕に対して働きかけてくれるお陰で、僕はあれからあまり悪い方向へ考えが及ぶことが無くなってきた。あの明るさが僕に何かを与えてくれている。僕はそう思っている。
「まぁ、いいわ。」
深月は僕の襟を離す。僕は少し服を整えながら富原さんを見る。彼女は俯いていた。そしてその顔は少し寂しそうだった。僕は話を戻すことにした。
「それで、いつから行ったらいいんでしょう?」
富原さんは顔を僕に向けて、
「えっとですね、明後日から来て下さい。あっ、私、帰りますね。」
富原さんはいきなり立ち上がると玄関へと歩を進める。僕はその後に続いて玄関へ行く。
「途中まで送ります。」
僕はそれだけ言って送ることにした。気になったのだ。
さっきの寂しそうな表情のことが————
「送って下さらなくても良かったのに・・・。」
僕は富原さんと一緒に途中まで行くことにした。これから商店街に何か用があるようで、僕は商店街に続く道まで彼女を送ることにしたのだ。
「あの・・・こんなこと言っていいのか分からないんですけど・・・。」
僕は、思い切って言ってみた。
「さっきすごく寂しそうな顔・・・してましたよね。」
富原さんはその言葉を聞いて、驚き、また俯いてしまった。
「言いたくなければそれでいいんです。僕の思い違いってこともありますし・・・。」
「・・・いいなぁ。」
富原さんは一言ため息のように言った。
「えっ?」
「うらやましいんです。すごく温かい雰囲気なのが。」
「でも、富原さんはお父さんと・・・。」
僕の言葉を遮るように彼女は首を左右に振った。
「お父さん・・・だけなの・・・。私の家族・・・。」
富原さんは空を見上げた。僕はそんな彼女の顔を見ていた。
「お母さんはね・・・私を産んですぐに亡くなったの。親戚ともあまり関わりがないし、祖父母とももう亡くなってるの。だからお父さんだけが私の家族。私のたった一人の家族。私、お父さんに頼りっぱなし。でも時々思うの。うらやましく感じてしまうの。私にも賑やかな団欒が欲しいって。」
僕はいきなり彼女の本心に触れた気がした。でもその本心は僕にとっては・・・。
「贅沢ですよね。その思い。」
僕はそう吐き出していた。
「えっ?」
今度は彼女が僕に聞き返す。僕は言葉が止まらずに溢れ出していた。
「あなたには信頼できる家族がいる。それ以上の思いは贅沢です。近くに頼れる人がいるのは大きいことです。僕には・・・僕にはそんな人数日前まで居なかった。だから贅沢ですよ。孤独ほど辛くて、苦しい、死にたい感情が出てくる状況なんてないんです。」
言い終わると、僕は彼女に背を向けた。
「ごめんなさい。僕はこれで・・・。」
僕は歩き出す。すると僕の右手を彼女は握って引き止めた。
「私・・・その・・・。」
僕は振り返って彼女を見た。少し俯き加減の富原さんは申し訳なさそうな顔をしていた。
「気にしないで下さい。僕が勝手に・・・。」
また僕の言葉を遮って彼女は言った。
「わたし・・・信田さんの・・・友達になってもいいですか?」
「とも・・・だち・・・。」
「確かに頼りにならないかもしれないです。不快な思いをさせてしまうかもしれないです。でも、でも、あなたに一人でも多くの信じれる人を・・・笑顔を見せることができる人を増やして欲しいから。だからなってもいいですか?」
僕は胸が熱くなっていた。ある意味告白ともとれるような言葉。でも彼女は真剣に僕の深い闇に光を照らそうとしてくれる一人であった。
「うん・・・なろう。友達。」
「はい。なりましょう。友達に。」
これで僕達は晴れて友達になった。でも僕には親友ぐらいの絆が彼女との間に生まれたような気がしていた。
「ありがとう。」
僕は彼女に素直にお礼が言いたかった。
「私もありがとう。信田さんの言う通りお父さんを大切にしなきゃいけないですもんね。」
僕はその時、以前から気になっていたことを口にすることにした。
「あの・・・さ。」
「何ですか?」
「敬語・・・。その友達になるなら敬語やめない・・・か?僕も敬語出るから人のことは言えないんだけどさ、その・・・他人行儀過ぎるっていうか・・・その・・・。」
「深月と同じだね。」
そこで深月の名前が出てきたことに僕は驚いた。
「えっ?同じ?」
「深月ね、私と最初に友達になった時に同じこと言ってきたの。でも私も敬語あんまり抜けないんだけどって言って笑ってた。」
「そうなんだ。そこまで似るとは・・・うつってきたな・・・。」
「私も敬語抜けないかもしれないけど、友達だからね。頑張ります。」
「言ってる傍からだよ。深月みたいに課金しようかな〜?」
「それはやめてよ。私、あれで千二百円罰金だったんだから。」
「えっ?それほんとに払ったの?」
彼女はうなずく。僕はその瞬間自分の課金を計算する。すると、彼女が笑い始めた。僕はすぐに気付く。
「あっ、嘘ついた。」
「だって、そんなことされたら友達失格だよ。ふふ。」
「そうだよね。ははは。」
そこで二人で笑っていた。その笑顔は青い空によく似合っていた。
そんなやりとりがあって今、僕はバイトに出ている。あれから彼女は僕のことを信田くんと呼ぶようになっていた。少し友達になれた感じがしている。
「信田くん。済んだ?」
富原さんが美味しそうな冷えたお茶を持って現れた。僕は、もう少しと告げると、急いで指示通りケースを降ろして積んでおいた。
「お疲れさま。少し休憩しよっ。」
「今日は来てないよね?」
僕は酒屋の中に入ると椅子に腰掛けながら富原さんに聞いた。
「そろそろ来るんじゃないかな?」
噂をすれば何とやら。まるで休憩時間を知っていたかのように深月は現れた。それも差し入れを持ってである。
「おっ、やってるねぇ〜♪」
かなりご機嫌が良さそうだ。
「今日の差し入れは何かな〜?」
「なによ、差し入れ目当てなわけ?」
「それ以外に何があるんだよ。それじゃ早速。」
僕が取ろうとした袋を深月は取り上げ、
「ともやにはあげない。絶対あげない。」
先ほどまでとは打って変わって少し腹を立てた様子で僕にそう言い放った。
「ならいいや。富原さんもう一杯くれる?」
「ちょっと待ってて。今入れてくるから。」
富原さんは奥の台所へと向かう。僕と深月の二人だけとなった。しかし、そこには言葉がない。僕は彼女に話すことがないからだ。毎日家で話しているので正直内容が思いつかない。
「ねぇ・・・。」
その沈黙を破ったのは深月だった。少し低い声で話している。
「ともやってみかさとしゃべる時嬉しそうだね。」
「普通だと思うけどな。まぁ僕にとっては数少ない友達の一人だからね。」
僕は話しながら、深月が何かを探ろうとしているような気がしていた。何をかは僕には分からない。
「今日さ・・・帰りここに来てもいい?」
「ん?どうして?家帰ってからじゃだめなのか?」
「来ちゃいけないの?」
「いや、ただなんでかなって思って。」
「今日は迎えに行きたい気分なの。」
深月の真意は僕には見えない。でも断る理由もないので、僕は了承しておいた。
「ごめん、遅くなって。はい、どうぞ。」
話が一段落した所で富原さんがお茶を持ってきてくれた。
「ありがとう。」
僕はそれを一気に飲み干すと、
「休憩終わり。準備に戻るよ。」
僕はコップを富原さんに渡すと立ち上がって正一氏に次の指示を仰ぎに行くことにした。正一氏は商品を数えていた。僕は正一氏に声をかけると次の指示をもらい早速とりかかることにした。色々な思いを少し抑えて。
-夕方-
今日のバイトは終わった。街の酒屋は店での販売はもちろんあるが、大手のスーパーマーケットや居酒屋等との契約でも収入を得ている。だからどちらかと言えば運ぶとか力仕事が多くなりがちだ。
「今日はこれで終わり。お疲れさん。明日もよろしくな。」
「はい!ありがとうございました。」
僕はお辞儀をして酒屋を出る。三日続けて出て、一日休みをもらえる。今日出たのであと二日出れば休みになる。一日中仕事をするとやはり疲れはそれなりに溜まるものだ。特に僕は今まで運動もあまりしてこなかったし、する気力さえなかった。そう考えればある意味いい運動だ。
「お疲れさま。今日はもう帰るの?」
富原さんが、正一氏と入れ替わりに僕の前に来た。
「今日は何か深月が迎えに来るみたいで。少し待つことにするよ。」
「何か信田くん来てから深月、信田くんにべったりだね。」
「ほんとだよ。僕になんて構わなくていいって言ってるんだけどね。」
「深月、信田くんのこともっと知りたいんじゃないのかな。」
「それ知っても何もいいことないよ。それに別にこんなにつきっきりにならないでも充分分かると思うけどな。」
「深月に聞いてみたらどうかしら?」
「ん〜そうだなぁ〜。でもそれかなり聞きにくいよ。」
「それじゃ、私聞いてみようかな。信田くんのことどう思ってるか。」
「別にどうも思ってないと思うけどな。」
僕は酒屋の外へ出る。太陽が少しずつ山に沈んでオレンジから紫色の空へと変わろうとしていた。
「そろそろ来るかな?」
僕は帰り道の方を見てみる。田舎の道路なので人通りはほとんど無い。早い目に帰宅した会社員が家路についている姿がちらほらと見受けられる程度である。富原さんも酒屋の外に出てきた。
「まぁ歩いてれば途中で出会うかな。それじゃまた明日。」
「うん。またね。」
僕は富原さんに挨拶すると道を歩きだした。ここから家まで約十分。そんなに遠くない。家までは上り坂であるがそんなに急ではない。僕はその道をのんびりと歩いて帰ることにした。
帰り始めて五分後、道の端に男女の姿が見えた。その姿に僕は少しずつ近づいていく。そしてかすかに顔を確認出来る距離まで来ると僕は歩を止めた。そこにいたのは深月と見知らぬ男。話し声は聞こえないが雰囲気でなにやら真剣に話し合っているようだ。僕は邪魔しないようにと反対側の道の端に行き、気付かれないようにさっと通ってしまうつもりだった。そのつもりだったのだが・・・見てしまった。二人の顔が近づき、そして
深月とその男の唇が触れ合う瞬間を—————
僕はそれを数秒凝視してしまっていた。すぐに我に返るととっさに走り出していた。急いで坂を駆け上がる。何か後ろから声が聞こえた気がしたが僕は気にせず夢中で走った。そして門をくぐって玄関にたどりついた。
「おや、お帰り。運動かぃ?」
晴枝ばあさんが出迎えてくれた。僕はその返答を頷くことで返し、部屋に戻る。そしてようやく落ち着かない感情に自分で気付いた。見てはいけないものを見てしまった。僕はそんな思いに支配されていた。玄関の開く音、晴枝ばあさんの声、そしてこちらに向かってくる足音。そして、
「ともや、入っていい?」
深月の声。僕はなぜか今彼女に会いたくなかった。僕はこれを見なかったことにすればいいと思っていた。でも向こうは僕に気付いた。だから僕はどうしていいのか分からない。何と言っていいのか全く分からない。だから彼女には会いたくなかった。今会えば僕は何を言うか分からなかった。
「何か用?」
「うん・・・。さっきのね・・・その・・・。」
僕は頭の中で考えた。見たことは否定出来ない。でも別に悪いことをしていたわけではない。だから僕が気にすることはない。確かに恥ずかしかったかもしれないが、それだけだ。その関係に問題はない。
「上手くいってるんだね。いいことだ。うん、いいことだ。」
僕は気付いたらそう言っていた。
僕はなぜか学校という場に行くことに抵抗が無かった。自分でも不思議である。だから東次郎氏とのやりとりの中で学費について触れられても普通あんな状況が学校で展開されれば自然と学校へは足は向かない。しかし、僕は朝起きれば学校へと向かっていた・・・。しかし、そこでの生活ははっきり言って地獄だろう。人生でそう経験することのないしたくないことなのだろう。でも僕にはそれがついてまわる。
-朝-
気付いたら眠っていたようだ。僕はそのままの格好で寝ていたみたいだった。外は少し日が出て、朝の到来を告げていた。今日もいい天気になりそうだ。しかし僕の中はなぜか澄んではいなかった。原因は昨日のことだろう。僕は話さないことにした。深月は話したいかもしれない。でも僕はなぜか話す気にならなかった。とりあえずシャワーを浴びようと部屋を出た。するとそこに彼女は立っていた。
「おはよう。どうしたの?」
僕から反射的に声をかけていた。まずはいつも通りの振る舞い。昨日は深月を部屋には入らなかった。僕の言葉で彼女はそのまま自分の部屋に戻っていったからだ。僕はそのまま寝転んで天井を眺めていた。そして気付いたら寝ていたのである。
「ちょっといいかな?」
「今シャワー浴びるところだから上がってからにして。」
僕は彼女をかわすと、浴室に向かう。シャワーを浴びて上がってきたときにはすでに家に彼女の姿はなかった。
「昨日何かあったの?」
休憩時間。僕はみかささんとお茶を飲みながら休憩していた。僕の内面でも見えたのだろうか、彼女は心配そうに僕を見る。
「何でもないよ。大丈夫。」
僕は少しでもみかささんに心配をかけたくなかった。
「でもすごく疲れた顔してるよ。顔色すごく悪いよ。」
「そうかな?でもほんとに何にもないから。」
自分でもなぜそんなに心がかき乱されているのかが分からなかった。深月とは何もない。それに僕にはそんな感情を抱くこと自体が驚きだった。
「それならいいんだけど・・・。」
みかささんは僕のことをかなり心配してくれているようだ。僕はそんな心配してもらえるほどの人間ではないのだが。
「今日は深月来ないね・・・。」
休憩時間に入ってしばらく経つがいつも休憩の開始と同時に現れていたが今日は五分経っても姿を見せていない。理由は明白だ。
「信田くん、やっぱり昨日何かあったんでしょ?」
「何もないよ。今日は用事があるんじゃないのかな。」
「でも昨日電話で今日も来るって言ってたのになぁ・・・。」
「夏休みだからね。遊びにも出たくなるでしょ。」
そんなやりとりをしながらみかささんは僕の顔をじっと見つめていた。
「何か顔についてる?」
「うん。寂しいって顔に書いてある。」
みかささんはまじめそうな顔をして僕にさらっとそう言ってのけた。そう言われた瞬間僕の心になぜか動揺が生まれていた。今の言葉が僕の中で真実の姿に変わりそうな気がした。でも必死で否定する。何とか心の平静さを保つと、
「ないよ。それに今日は静かでいいや。深月がいると時々騒がしいからね。」
「ふ〜ん。」
完全に信用されていない返答。僕は話題を変えることにした。
「そういえばこの地域ってお祭りとかってあるの?」
「あるよ。一週間後ぐらいに、この山のカミサマをたたえる三社祭(さんしゃまつり)っていうのがね。」
「三社?」
「この山には二つのカミサマが住んでたんだって。最初は仲が良くなかったんだけど、そこに住んでたお姫様がそのいがみ合いを上手くおさめたらしいの。で、そのお礼としてこの地に沢山の恵みを施したんだって。だからこの地の人たちは、二つのカミサマとお姫様を奉る社を建てて、それからその三つの社をたたえるお祭りを始めたのが最初みたいだよ。」
「へぇ〜。そんな祭りがあるんだ。」
「うん。でも、私は一回も行ったことがないんだけどね。」
「えっ?どうして?」
「だってその日は稼ぎ時でしょ。だからお父さんも店にいたし、私もお手伝いしてたから。」
「そっか・・・。」
僕は話題を変えたのは良かったが、逆にみかささんの少しつらい話をさせてしまったのかなと悪い気持ちで一杯だった。
「でも、今年は行ってみたいかな。」
「ん?どうして?」
「ん〜何となく。ここに住んでるのに一回ぐらいは行かないとね。」
みかささんは僕に笑顔でそう答えた。
「それじゃその時は案内でも頼もうかな。」
「それって、その・・・。」
みかささんの顔は少し俯き加減になり、
「一緒に・・・行ってくれるってこと・・・なのかな?」
「僕はその社とかお祭りの場所分からないし、できたら案内してくれたら助かるかな。僕ちょっと興味あるから。」
「私でよかったらいいよ・・・。」
みかささんはその一言に何かをこめていたのだろうか。すごく深い一言のように僕は感じられた。
「さぁ休憩終わり。あともう一息頑張ってね。」
みかささんは僕に笑顔を向けてそう言ってくれた。
その笑顔はいつもよりも輝いていた—————
バイトが終わり、みかささんと別れた僕は、一人夕焼けの道を歩いていた。結局深月は来なかった。僕は少し寄り道することにした。家の裏手にある山に、深月がこの町を案内してくれた時に最後に案内してくれたその場所に僕は自然と足が向かっていた。
「あっ・・・。」
そこには見慣れた顔があった。約半日ぶりに見た顔だ。
「ともや・・・。」
「ここにいたんだ。」
僕は彼女の横に並んだ。なぜか無意識のうちに横に立っている自分がいた。
「・・・・・」
「・・・・・」
二人に会話はなく、夕日が静かにその顔を大地に沈めていく・・・。僕はこの沈黙の時間がなぜか心地よかった。この美しい夕日が見れるというのもあるが、その理由は多分・・・。
「ともや、あのね。」
「悪かったよ。」
「えっ?」
「今日少し話したくなかったんだ。その・・・昨日あんなもの見せられたら何話していいのか分からなくて。だからちょっと避けてたところもあった。ごめん。」
僕は素直に謝ることにした。人間は思い込みに心が左右される。それに支配されるとその思いに絡みつかれてそこから出れなくなってしまう。僕はそれが一番分かっていると思っていたのに、それでもやはり弱い心はすぐに絡めとられる。だからその気持ちを素直に出してしまった方がいいと思った。
「ううん。私の方こそ何か色々な思いを抱かせちゃって・・・ごめん。」
なぜか恋人同士のような会話が交わされている。
「あの人・・・。」
僕はなぜか確認せずにはいられなかった。もし本当にあの人が彼女の恋人なら僕はこの場から離れられると思っていたからだ。そうなることを僕は願っていた。
「うん。私の恋人だよ。前から好きだよ。あの人のことは。」
「それだけ聞きたかったんだ。ここにいるとその人に嫌な思いをさせてしまうから僕はこれで帰るよ。それじゃぁ・・・。」
僕が願った通りに進んだ。これでいつもの状態に僕は戻れた。僕はその場を離れようとした。
「待って。」
なぜか彼女は僕を引き止める。僕はその声が聞こえなかったフリをして、そこから立ち去る。彼女が大声で叫んでも聞こえなかったフリをして・・・。
「行かないで・・・。」
僕の後ろに感触が伝わってくる。いつの間にか彼女は僕の後ろに立っていた。そして僕の肩を抱きしめていた。
「どうしたの?」
「私今でも好きなの。ずっとずっと好きなの。でも・・・。でも・・・。」
彼女の声が徐々にかすれていくのが分かった。そして僕の背中に熱い雫がつたってくる。
「もう、あの人とは上手くいかない。好きなのに・・・。」
「話が分からないよ。」
僕には彼女の言う意味が分からなかった。彼女はそれ以上何も言わなくなり、ただひたすら涙を流して泣いていた———
数分後、彼女は泣きやみ、僕はようやく解放された。すっきりしたのだろうか、その顔には笑顔が戻りつつあった。結局彼女の言いたいことが分からなかった。
「ともや・・・。」
「ん?なんだい?」
僕は背中ごしに彼女の話を聞こうとした。そして彼女は—————
「私の想い・・・受け取って・・・。」
そして彼女は僕の前にやってきて————
「好きよ。ともや・・・。」
そして彼女は僕の唇に自分の唇を重ねてきた————
どこにそう思う要因があったのだろうか。僕は考えていた。彼女との出会いはほんの2ヶ月ほど前のことのはずなのに、その想いにあふれるきっかけが僕の中では見つけられなかった。僕にとってそれは突然過ぎた。だからこの瞬間になっても全く分からなかった。
僕と彼女の長い長い口づけが終わる頃、すでに日は落ちていた。
「ごめん。急にこんなこと言っちゃって。」
彼女はそう言って恥ずかしそうに顔を地面に向けていた。
「どうしていいのか分からないけど、言われて嬉しくならない人はいないと思うよ。」
僕は今言えることを言った。それしか僕には言えなかった。
「ともやの・・・その・・・想いはどこにあるのかな・・・。」
やはり彼女は答えを聞きたいようだ。しかし、僕にはすぐに結論を出すことが出来ないでいた。それはそこまで考えたことがなかったからだ。彼女に対する想いが全然なかったと言えば嘘になるだろう。しかし、僕には今のその生活などで精一杯でその想いを気にしないようにしていた。というより意図的に避けていたのだろう。その想いに今ようやく向き合ったといったところだ。
「今は・・・分からない・・・。」
「ごめんね・・・いきなり答えなんて出せないよね・・・。」
彼女は少し寂しそうな顔で僕を見つめてきた。僕はその顔にはっきりとした表情を返すことが出来なかった。
「ごめん・・・。」
「ううん、悪いのは私の方だから。自分勝手な想いをいきなり押し付けたから。でも、想いは伝えられたから良かった。その想いは変わらないから。それは信じて。変わらないから。」
彼女はそう言って僕の前を家に向かって歩きだす。
「帰ろう、私たちの家に。」
「・・・・うん。」
僕は彼女の後を彼女の背中を見ながら家へと帰った————
僕はどうしたらいいのだろうか・・・。
彼女の素直な想いは分かった。でも、なぜか素直に受け入れられない自分がいた———
やはり、深月の恋人のことが引っかかる。あの話だとまだ相手にはこのことを伝えていないのだろう。
僕はそこが納得いかなかった。なぜ関係を解消していないのか・・・。
そこには一つのある仮説が成り立つ。彼女はその想いは変わらないと言ったが、今僕に対する想いと恋人に対する想いは同じなのだろう。それが想像できる今はやはり、その想いに応えるわけにはいかない。
あの涙は恋人との決別の涙なのか、それとも———
結局、僕の中では深月の想いは保留となった。
-翌日-
僕は目を覚ました。そして一番に昨日のことを思い出していた。唇に昨日の感触がよみがえってくる。僕は顔が火照るのを感じながら、外の雨音に耳を傾けた。今日はあいにくの雨模様だ。今日も僕はバイトなので、とりあえず布団から起き上がる。カーテンを開けて外の様子をうかがう。
「さて、今日も頑張るか。」
僕は背伸びをして、布団をたたむと部屋を出て、居間に向かう。
「おはよう、ともや〜。」
いつもにも増して元気一杯の深月の姿が目に入ってくる。
「おはよう。今日もバイトだから。」
「んじゃ今日はお邪魔しちゃおうかな〜。」
「お好きなように。僕はいつもと同じで休憩時間以外は真面目に仕事してますから。」
「連れないなぁ〜。」
今日は上機嫌だ。僕は朝ごはんを食べながら、彼女との話に花を咲かせていた。
「んじゃ行ってきます。」
「休憩時間に絶対行くからね。」
「期待しないで待ってるよ。」
僕は、家を出た。彼女との会話は僕を勇気付けてくれる。ようやく生活にも慣れ、少しずつ自分の中に余裕も出始めていた。僕は家の門を出ると、いつもの道を歩き始める。雨脚が少し強まってきた。僕は、傘を少し斜めに傾け、雨に極力打たれないように歩く。前から人の来る気配がしたので、僕は右に寄った。この時間なら多分高校に向かう生徒だろう。
「お前、今、皆瀬川の家から出てきたよな?」
傘をさしているのでよく分からないが、その高校生らしき人物は僕にそう尋ねてきた。
「あの・・・皆瀬川の家に何か用ですか?」
僕がそう尋ねた瞬間、その人は自分の傘を投げ捨て、僕の傘をつかんで、僕の顔めがけて拳を繰り出した。
「えっ?」
僕はその一言しか発することが出来なかった。僕はまともに拳を受けて、雨が降るアスファルトの道にその顔をうずめていた。
「何・・・するんだよ、いきなり。」
するとその人は僕の胸ぐらをつかんで無理矢理僕を立たせると、もう一発拳をふるってきた。僕はそれもまともに受けてその場に倒れこんだ。口の中に鉄分の味が広がる。僕は何とか起き上がると、
「いきなり・・・なんだよ・・・。」
その人にそう言って、その人の顔を見た。
その顔を僕は見たことがあった———
「お前、名前なんて言うんだよ。」
彼はそう聞いてきた。僕は素直に答える。
「信田智哉だ。」
「俺は湯本翔也だ。今深月は家にいるか?」
彼は殴ったことを悪びれる様子もなく、深月のことを聞いてくる。
「深月とはどんな関係なんですか?」
僕は分かりきっていたが少し怒りの感情も混ぜながら、あえてその質問をしてみた。彼は、
「深月とは恋人関係にあると言いたいところだが、今は違う。それで話にいく所だ。」
「僕を殴った理由もそこにあるというわけですか。」
「察しがいいな。しかし、良すぎるのもいいもんじゃねーぜ。」
「全くです。では僕はこれからバイトですので。」
僕は彼が殴った時に投げた自分の傘を拾うと、雨音の中、富原酒店に向かって歩きだした。
「待てよ。誰も行っていいとは言ってないぜ。」
僕はその声で足を止めてしまった。しかし、主張はしておく。
「僕が関係ある話にまで展開はしないでしょう。」
「いや、するだろうこの場合。」
「あなたと深月の問題に僕を巻き込まないで頂けますか。僕は彼女とは何でもないので。」
僕は今、ここで答えを出してしまう。そう———
深月と僕は—————
ただの—————
「そうか。なら、関係ないな。殴って悪かった。こっちの早とちりだったな。」
彼はようやく現状を理解したようで、僕をこの場から解放する。
「では僕はこれで・・・。」
僕は再び歩きだす。しかし、またも足を止められた。
「んじゃヨリが戻ってもお前はいいってことだな?」
「さっきから言ってるじゃないですか。僕と彼女はそんな関係じゃないですから。」
僕は結論を出した。元々その考えだったからその流れになるなら僕にそれを止める権限など持ち得ない。
「ん。じゃぁな。」
彼は自分を傘を拾うと皆瀬川に向かって歩きだした。僕はそのまま富原商店に向かう。少し遅刻かななどと考えながらも、僕の心はやはり彼女と彼のその後が気にせずにはいられなかった。しかし、僕の中ではもう一つの思いが駆け巡っていた。気持ちの清算が出来ないままに動いた彼女自身に対し、僕は少し怒りに似たような感情を持っていた。いろんな想いが交錯しながら目的に向かう。
そして僕の想いはどこにあるのか自分でも分からなくなっていく————
でもこれだけは確認できた。
人を想う気持ちが僕にもまだ残っていたんだということが————
僕は富原商店に着いた。みかささんは少し遅れた僕を雨が降る中、店の前で待っていた。
「遅刻・・・どうしたのその怪我!?」
「何でも・・・ないよ。」
「とにかく消毒するから中に入って。」
みかささんは店の奥、住居から救急箱を持ってきた。
「そんな大げさな怪我じゃないですよ。」
「ダメです。ちゃんと早いうちに消毒とかしておかないと。」
救急箱を置いて、みかささんは僕の顔に消毒液を含ませたガーゼをあてる。
「いてっ!!」
「あっ、ごめんなさい。やさしくするね。」
今度はゆっくりと僕の顔にガーゼをあててくる。僕は少し緊張していた。彼女の一生懸命さが僕には少し嬉しかった。消毒はすぐ終わり、僕はすぐにバイトのほうに向かおうとした。
「少し休んでおきなさい。大丈夫バイト代はちゃんと払うから。」
そう正一氏に言われ、僕はお言葉に甘えることにした。僕は居間に上がらせてもらい、そこから外の景色を見ていた。みかささんは台所でお茶を入れてくれた。居間に来て僕の前にお茶の入ったコップを置いてくれた。
「ありがとう。」
「大丈夫?」
「うん、何とかね。」
「なら良かった。」
その後僕と彼女の間に静寂が続いた。この時間がなぜか長く感じられた。
「あのね・・・聞いてもいい?」
僕は何を聞こうとしているかすぐに分かった。だから深く聞かれる前に答えることにした。
「これね、ちょっと色々あってさ・・・。」
「そう・・・なんだ・・・。」
さすがに言えなかった。深月の恋人に殴られたなんて。
「ごめん、心配してくれてるのに・・・。」
「ううん。気にしないで。私が聞きたかっただけだから。」
みかささんはそれ以上は聞こうとはしなかった。また少しの間静かな時間が流れたが、僕もそろそろ行かないといけなかったので、
「じゃぁ仕事してくるよ。」
「うん。いってらっしゃい。」
僕はその声で元気が出ていた。今日一日が乗り切れる。そんな気がしていた。
どうしたことだろう。僕はその時、自分の中で想いが膨らみ始めていることに気付いた。
それは、単純な想い———
でも———
今ままでに感じたことのない想いだった・・・。
それが大きくなることに———
僕は———
なぜか切なさもそこに感じていた———
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