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君と僕との存在は (上)

<K.G 作>
〜距離〜




僕はおばあさんが話し始めるのを待っていた。深月が親に必要とされていないと聞いた時は僕はどこかで自分と重ね合わせていた。ただ僕は親に認知すらされなかったのでよく見ると違いはあるのかもしれないが、それでも何か近いような気がしてならなかった。深月、いや皆瀬川家に一体何があるのか。僕がそれを知っていいのかも分からない。でも、今は聞きたかった。
「あの奥の部屋は見たのかのぅ?」
奥の部屋といえば仏間のことなのだろう。僕は頷いた。
「大きかったじゃろう。あの仏壇は。」
「ええ。びっくりしました。」
「あれは象徴なんじゃ・・・。」
僕にはその意味があまり分からなかった。それは家の象徴なのか、それともあの方の存在を象徴したいのか・・・。考えて思った。その両方なのではないかと・・・。
「あの人は大きな会社の社長をしておった。じゃからその一生を会社の為に捧げてきた。その功績を孫達に残しておきたかったのじゃろう。」
あの大きな仏壇を作れるのは確かに相当の資産家でないと難しい。しかしそれと深月が親に必要とされていないということが結びつかなかった。
「それでじゃ、家には娘しか生まれなかったんじゃ。あの人は後継者がどうしても欲しかった。じゃから婿養子を取ることにしたんじゃ。それで来たのが深月の父親じゃ。」
僕は少しずつ話が読めてきた。
「深月は女だから後継者じゃない。だから必要ない。そういうことですか?」
おばあさんは頷く。今の世の中女性だって社長になっているのになぜそのような考えにこだわるのか。これは現代っ子の考えに過ぎないのだろうか。でも僕にはそれで彼女をお払い箱にすることが許せない。
「じゃから家におる。陽介さんの方は後継者としてふさわしくなれるように教育しようとしているからここにはあまり顔を出さないんじゃ。私も出会ったのは昨日で4度目じゃ。じゃからどうしても他人行儀にしてしまってな。」
昨日で4度目。正直そのようには見えなかったが、そこはやはり年の功なのだろうか。そうでなくても実の孫だから会っていなくてもすぐに親しくはなれるのだろう。
「じゃから、深月は嬉しいんじゃよ。久々にお兄さんに会えるんじゃから。」
「そうでしたか・・・。」
僕は僕の境遇と比較してしまったことを悔やんだ。深月は深月なりに色々と耐えたり乗り越えてきているんだと思うとどこかで逃げていた僕とは違っていたんだと思える。僕は彼女に対して少し尊敬の思いを抱いていた。
「この話をしたのは深月には内緒じゃよ。」
「もちろんです。だから僕の話も内緒にして下さい。」
おばあさんは笑顔でもちろんと言わんばかりに頷いてくれる。僕の心はすごく落ち着いていた。人の笑顔にはそんな力があるとういうことを初めて気付いた瞬間だった。
「で、今日はこれからどうするんじゃ?午前中ももうそんなにないんじゃが。」
「この周辺を何となく散歩してきます。」
「しかしこの辺りは迷いやすいからのぅ・・・。そうじゃ、深月は午前中で学校が終わると言っておあったから昼に案内でもしてもらうとよいじゃろう。」
「そんなの、深月に悪いですよ。」
名前は呼び捨てで敬語でしゃべるのに違和感を感じて仕方がない。でも、まだ僕が馴れ馴れしく会話なんて出来ない。まして居候の身であるならなおさらだ。
「まぁ深月のことじゃ、喜んで案内してくれると思うんじゃがなぁ。智哉さんなら特に。」
おばあさんの最後の言葉の意味がよく分からなかった。やはり寂しいのだろう。僕でその気持ちを紛らわせられるならいい影響を与えることが出来ているので嬉しいのだが、どうなのだろう。

昼になって深月が帰ってきたのは早かった。
「ただいま〜。ともや〜。」
帰ってくるなり僕を呼ぶ深月。僕は面倒そうな顔をして深月の帰りを出迎えに玄関へ。
「おかえりなさい。」
「うん。ただいま〜。」
いつも通りの笑顔で僕に言ってくる深月。僕はおばあさんから聞いた彼女の話を思い出し、少しその笑顔が切なく感じてしまった。そんな思いにかられていると、
「ともや?どうしたの?」
深月が心配そうに僕の顔を見てくる。それを見て思った。僕は何もできないけど、彼女にはどうかいい影響を与えることが出来るようにと。
「大丈夫です。それより、お願いがありまして。」
「ん?お願い?」
「あの・・・この街を案内して頂けませんか?」
僕は少し不安だった。人にものを頼んで引き受けてもらえたことがないからだ。でもどこかで安心していたのかもしれない。だってそれは、
「うん。もちろんだよ。」
って答えが返ってくることが分かっていたからかもしれない。


昼食後、僕は深月の案内でこの街を巡ることにした。
「そういえば知らなかったんですけど、ここって何て街なんですか?」
僕も質問できるぐらいに前向きになってきていた。それは深月の明るい雰囲気が大きかったといえるだろう。僕にとってはある意味命の恩人だった。
「縁朋町だよ。」
「えんほう・・・何か変わった名前の街ですね。」
「昔から縁結びで有名だったみたいだよ。あと、この街で友達になると一生その縁が続くっていう言い伝えもあるみたいだよ。だからともやと会えたのも何かの縁かもっ。」
嬉しそうに言ってくれるので、
「そうかも知れませんね。」
と素直に返している自分がいた。

「着いたよ〜ここが縁朋町商店街。ついでにばぁちゃんに買い物頼まれてるから、後で付き合って。」
何かすごく古き良き時代のような雰囲気のする商店街。なぜかすごくほっとする空間だった。
「あっ深月ちゃん、今日は晩御飯何にするんだい?良かったらうちにも寄っていってよ。」
商店街に入ってすぐの魚屋から深月にお声がかかる。何年前の光景だろう。都市ではもう見られることはない。今はこんな温かい掛け合いなどありえない。無関心の機械が黙って要求してくるだけの冷たいやりとりしかない。僕にはそれがすごく温かみを持っているように見えた。
「ごめんなさい、今日はともやの歓迎の意味も込めて、私がカレーを作ろうと思ってて、また寄らせてもらうわね。」
深月は律儀に魚屋の店主に答えて、商店街の奥へと歩を進めた。僕はその店主にお辞儀して深月の後ろを追いかける。深月の横に並ぶと、
「そんなに気を遣って頂かなくてもいいです。僕は居候の身なんですし。」
そんな僕の台詞に彼女は、
「敬語。」
と一言。
「え?」
「そう、ずっと気になってたんだけど、私とともや同い年でしょ。」
「そう・・・で・・・」
「今敬語使おうとしてたでしょ。同い年なんだから敬語はやめてよ〜。いかにも他人ですって感じになっちゃうじゃない。」
「でも、まだ会って一日ですし。」
僕もこれはなぜか譲れないという気持ちになっていた。でも彼女も譲る気はない。
「ダ〜メ。これから敬語を使わないこと。使ったら一回罰金100円だからね。」
「えっ、いきなりそれは・・・。」
「これは今からだからね。私といる間は敬語なんて使わせないんだから。」
「いきなりなんて無理・・・。」
僕が語尾を濁すと、すかさず、
「はい100円。」
「えっ、それはないでしょ。」
「はい100円。さっきのは言う素振りを見せたから。さぁ今日一日でいくら貯まるのかしら〜。」
「分かったよ。敬語・・・やめればいいんだろ。」
僕は観念した・・・。納得がいかない。こんなやり方理不尽だ・・・。そんなことを考えていると、
「不服そうね〜。」
「そりゃ、いきなりそんなこと言われても難しいですから。」
「はい、これで300円。」
「・・・・。」
僕は少ししゃべるのをやめようと思った。その後もこのやりとりは商店街を出るまで続いた。商店街の中での出費は1200円だった。でも、不服であったとしても、僕は心の底から嫌だとは感じはいなかった。

「一応、ここで最後かな〜。」
深月が僕に本日最後に案内したのは、家の裏手の山の頂上だった。商店街から田んぼや畑を案内されて、最後はここに着いたのだ。昨日舗装された坂の中腹から見た景色も良かったが、ここからは街が一望できた。昨日の自然の原風景も少しは視界に入るがこちらはどちらかというと商店街とか昨日とは反対の範囲が見えるといった感じだ。夕日がはっきりと見える。それがまたこの場所の良さでもあるのだろう。
「今日は、ありがとう。」
僕も少し敬語がない会話に慣れてきていた。深月は嬉しそうに、
「良かった。暇とか退屈とか言われたらどうすればいいか分からなかったから。」
「とても楽しかった。久々に楽しいられたよ。ほんとにありがとう。」
僕がそう言うと、深月は少し俯き、それから夕日を見て、
「綺麗だよね。夕日。」
「そうだね。」
僕は深月を見る。その時の深月の顔は夕日で赤かったのだろうか、それとも・・・。
「あっ、それじゃ商店街に戻ろっか。夕食の材料買いに行かないと。」
「だったら商店街まで競争だ。行くぞ〜。」
「えっ、あっ、ちょっと、ともや〜。」
僕は走る。こんな気持ちは初めてだった。心の底から楽しめていた。本当に楽しかった――――

二人で買い物をして帰り道。日はかなり落ちてきていた。僕達は家までの道を楽しく会話しながら帰っていた。そして家まであと少しといったところで、車が僕達をの横を横切っていく。見た感じ非常に高級な車だった。
「すごい高級な車だったね。」
僕がそう言って深月の方を見る。しかし彼女の表情は僕の想像していたものと全く違っていた。まるで、凶暴な熊に出会ったかのようなそのような形相だった。
「お・お父様が・・・。お父様が来たのよ。」
僕は話を聞いていたので、何となくその表情になるのも納得がいった。
「お父さんなんだ。なら早く帰らないとね。」
僕は話を聞いていることを深月に明かせない以上、そう言うしかなかった。それは彼女にとってはとてつもなく酷な台詞だっただろう。
「そ・そうね・・・。」
「どうしたの?」
「何でもないわ。急ぎましょう。挨拶しなくっちゃ。」
やはり罪悪感に囚われる。無理な笑顔を作って、深月は歩き出す。しかし、その足取りにそれまでの軽快さはなかった。

家に着いた。先ほどの高級な車が門の前に止まっていた。僕は、それを見ながら門をくぐろうとした。すると、車のドアが開いて、誰かが出てきた。
「お・お父様・・・。」
後ろから深月の声がする。僕は振り返る。そこにはいかにも威厳がありそうな風貌の人が立っていた。身長は僕よりも高く、鼻の下に立派な髭をたくわえ、袴を着ていたその人は、深月に近づくと、
「陽介はおるか?」
と尋ねてくる。深月は、
「はい。昨日お戻りになられました。」
と返答する。
「そうか。で、彼は誰だね?」
その人は僕の顔を見て、深月に尋ねる。僕は、姿勢を正して、その人に向き直る。
「昨日からご厄介になっております信田智哉と申します。」
言ってからお辞儀する。その人はそんな僕を見て、
「しっかりしておるな。娘の知り合いかね?」
「いえ、少々事情がありまして・・・。」
「ほぉ・・・事情とな。まぁ立ち話もなんですから中に入りなさい。」
「では失礼します。」
僕はそう言って、門をくぐる。先に歩きながら、僕は思っていた。僕が評価するのもおかしいのだろうが人としてはそこそこいい人間なのかもしれないと。そして、深月を名前で呼ばないのかと。
「やぁ、お帰りなさい。」
僕が玄関に入ると陽介が出迎えてくれた。そして僕の背後にいる人に目が行くと、
「父さん・・・。何しに来たんですか?」
といきなりそんなことを言いだした。
「お前を迎えに来た。帰るぞ。」
「嫌です。僕は帰りません。」
二人とも声は非常に冷静だが、その中に激突する感情がこもっているのははっきりとしていた。
「何に不満だ?私はお前の将来を心配してだな・・・。」
「自分の将来は自分で考えます。父さんには関係ない。」
「関係ないわけあるか!!お前をゆくゆくは跡継ぎにと考えている私の身になってみたまえ。」
僕は思う。陽介の方が正論を言っている。将来は自分で決めるもの。誰かに決めてもらったレールの上を行くのも将来の道。しかし、それも自分で納得して選び取ったものならまだしも、人に押し付けられた道を歩かされるほど辛いものはない。でも僕はそこまでかまってくれる親に少し羨ましさも感じていた。
「お父様、それは違います。お兄さんは自分で考えてその道を歩めるかを見極めようとしているんです。ですから・・・。」
深月が黙っていることが出来ずにそう言っていた。しかし、それは火に油を注ぐ結果になってしまった。
「女は黙っていろ。これは男の問題だ!!」
「これは家族の問題です!!黙ってるなんてできません!!」
「私に口ごたえするのか!?」
父は娘に対して手をあげようとしていた。僕はそれは見ていられなかった。
「力で抑えつけるんですか。いいご身分ですね。」
僕にその怒りの矛先が向かえばいい。だから僕は話し出していた。
「何?今何と言った?」
「そうやって人を力で従えさせていればあなたは満足なんでしょうね。周りを傷つけて。いや、傷つけていることにも自覚がなくて。大人はこれだからダメなんです。」
「貴様!!部外者がしゃしゃり出てくる問題ではない!!貴様、誰に物を言ってるのか分かっているのか!?」
「そうやって権力を楯に人でも何でも踏み潰す。それが大人のやり方、生き方って奴なんでしょ。殴りたきゃどうぞ気の済むまで殴って下さい。それでも僕は許しませんよ。これで解決しようなんて絶対に。」
僕は覚悟した。全てのことに。それに元々死ぬつもりの人間だ。こんなぐらいのこと大したことじゃない。それに自分の思い通りに無理矢理しようとするのはどう考えたっておかしい。それを僕は曲げたくなかった。正しいと思っていることを簡単に折りたくなかった。だからしっかりと見てやった。相手の目を真剣な眼差しで。
「何て目をしてる。むきになった私がバカみたいじゃないか・・・。」
「・・・殴らないんですか?」
「殴る気など失せてしまったよ。まさかここまで私に口ごたえした人間を初めて見たからな。食い下がるとはなかなかやるな。」
「上から目線は変わらないんですね?」
「私は君より年上なのだから当然だろう。」
「そうですか・・・。」
お互い感情が徐々にクールダウンしていく。そこで陽介が切り出した。
「父さん、少し考える時間を下さい。僕にだって選ぶ権利があるはずです。」
「権利・・・か。確かにそうだな。お前がそこまで言うなら考える時間を与えよう。」
「ありがとう・・・ございます。」
「で、信田智哉と言ったか。私は名誉を傷つけられた。私は君を訴える。」
僕はその言葉で覚悟を決めた。このままでいいはずがないと思っていた感情に同調する時が来た。やはり、ここにいてはいけない。結局は人に迷惑をかけた。だから・・・だから・・・
「かまいません。好きになさったらいいです。ですが、僕が生きている間にしてください。」
僕はそれだけ言うと、荷物を取りに部屋に向かう。後ろで深月が驚いた声をあげていたのかもしれないがそんなことはどうでもよかった。僕はバッグを背負うと玄関にとって返す。
「ともや。ちょっと待って。ねぇ・・・。」
僕が玄関に戻ってくると深月が僕に色々と言ってくるが僕は取り合わない。靴を急いで履くと、
「では、今までありがとうございました。手続きは早めに済ませてください。」
僕はそれだけ言うと駆け出す。振り返ることなく一直線に門まで駆けてそのまま道なりに駅まで走る。そう、これで良かったんだ。今のも逃げだ。完全な逃げだ。でも僕はこれで未練がなくなった。

最後に幸せなひとときをくれたから―――――

僕は急いで駅に向かう。今ならまだ電車に間に合う。今度は追いかけてはこないだろう。もうこれでお別れだ。この世界に僕という存在は必要ない。だからこれで良かったんだ。でも、なぜか涙が止まらなかった。これは立ち向かうという誓いを破った自分を責めてるから、あの生活に戻りたいという願いがあるから、それとも、

本当は死にたくないから?

そんな僕の前にさっきの高級車が妨げるように止まる。僕もなぜか足を止めてしまった。そこから出てきたのは、
「どこ・・・行くのよ・・・。」
深月だった。その奥には父親の姿の見えた。
「深月には関係ない。」
「もう関係なくないよ!!ともやと私友達でしょ!?」
「友達・・・ね・・・。でもいつかは裏切るのが友達だよ。」
「そんなの!!そんなの友達でもなんでもない!!」
「僕の友達はそんなのばっかりだった・・・。だからそんなものだよ。友達なんて・・・。」
「違う・・・違うよ・・・友達っていうのは・・・そんなんじゃ・・・ないよ・・・。」
深月はすでに泣いていた。僕はそれを見てさらにこみ上げてきていた。
「泣くなよ・・・。」
「だって・・・だって・・・。」
深月はさらに泣き出す。そこで車の奥から声がした。
「君はあそこまで言って逃げるのか。男として失格だな。」
「あなたは親として失格ですよ。」
「娘に・・・ぶたれたのは初めてだったよ・・・。」
「えっ?」
ゆっくりと父親は車から出てくる。そして僕に向かって話しかける。
「君を追い込んだのは私だと言ってね・・・。思いっきり頬を。あんなに怒って悲しむ娘を私は見たことがなくてね・・・。」
「・・・・。」
「君の言う通り、私は親失格なんだろう。今まで陽介を後継者にと考えてばかりで、深月をほったらかしにしてきた。実家に預けて、私は何もしてこなかった。確かにそうだ、力で押さえつけていたのかもしれない。だから先ほどの怒った顔を見て、初めて深月の本心が見えた気がしてね・・・。」
「ようやく言いましたね。」
「何がだ?」
怪訝そうな顔をする父親。僕はそんな顔をする父親に言ってやった。
「娘さん。深月ってようやく呼んでくれたんですね。」
「そういえば、そうかもしれない。何も言ってなかったのによく気がついたな。」
「僕も・・・。僕も呼ばれたことがないからですよ・・・。」
「ねぇ・・・。」
一通り父親との話が済んだのを見計らって深月が僕に話しかけてくる。
「戻って・・・くれるよね?」
「それは・・・。」
「私は認めた。君はまだ逃げるつもりかね?」
「ともや・・・。」
求める眼差し。僕は少し目を逸らそうと思ったが・・・出来なかった。
「・・・分かりました。すみませんでした。」
僕は観念した。いや、これを本心では望んでいたのかもしれない。
「ともや・・・。」
深月は安堵の表情を僕に向けてくる。そんな顔をされたら僕は笑顔を返すしかないじゃないかと思いながら、彼女に笑顔を返していた――――

「で、君はさきほど事情があって家にいるとか言ってたね。どういうことなんだ?」
先ほどのやりとりから数時間後、僕は皆瀬川家の当主である皆瀬川東次郎(とうじろう)氏と対峙するような形で話をしていた。その横には陽介も深月も静かに僕の話を聞く態勢に入っていた。
「先ほど少し話をさせて頂いたことも関連していますが、僕は・・・。」
そこで、おばあさんに話した内容よりも簡潔に話をした。僕の今置かれている現状、この家にお世話になるまでの経過、その辺りのことを話した。一通りの話が済むと、
「そうだったのか・・・。」
東次郎氏はそれ以上はどう言っていいのか分からなかったようだった。陽介も深月も深刻な顔をしていた。僕は何とか言って雰囲気を変えたいと思ったが、正直そんな気分になれなかった。
「晴枝さん。」
東次郎氏はおばあさんに顔を向けた。
「彼をこの家に居させるのは私も賛成だ。それにできれば、私の養子として迎えたい。後継者はできれば多い方がいいからな。」
いきなりの養子縁組の提案にその場にいる全員が驚いた。
「それは出来ません。うちの親が色々と言ってきます。迷惑はかけられません・・・。それに後継者なんて僕はなる気はありません。」
僕は即座に否定した。陽介も反論する。
「また押し付けるんですか?彼の意思も尊重してあげて下さい。」
「分かっている。今すぐではない。君の親との話し合いで折り合いがつけばの話だ。それに君も心の準備というのがあろう。しかし、私はその方が君にとっていいのではないかと思っているのだ。」
東次郎氏の言わんとすることも分からなくはない。しかし、そこまでしてもらう道理は僕にはない。
「確かに僕はあの家には戻ろうとは思いません。でも、皆瀬川の養子に入ってそれで解決とはいかないと思います。今は分かりませんけど、次に必ず問題が出てくると思います。ですからたとえ親が了承しても僕はなる気はなりません。」
「では、学費はどうするんだね?今までは親に出してもらっていたんだろう?その部分は無くなってしまうんだ。どうやって出すつもりだ?」
「正直具体的な金額は分かりませんが、何とかして払うつもりでいます。それにこれ以上お世話になるわけにはいきません。」
僕の答えは答えになっていなかった。これがお金を稼ぐ人間と養ってもらっている人間の感覚の違いなのだろう。
「まぁ焦ることはない。ゆっくり考えてまた答えを聞かせてもらう。それから、学校だが・・・。」
そこで深月が話しに入ってきた。
「もうすぐ夏休みですから、夏休みの間に結論を出すってことでいいんじゃないでしょうか?」
「そうだな・・・。数日休んでも出席が足らなくなるとかいうことにはならないだろう。それに、あまり学校に行く気にもなれんだろうしな。」
「ありがとうございます。色々と考えて頂いて。」
僕は正座して、東次郎氏にお辞儀した。僕が今できることはこれしかない。
「いいんだ。晴枝さんの命の恩人だから、感謝するのはこちらの方だ。」
東次郎氏はそう言って立ち上がる。どうやら帰るようだ。
「陽介。お前の答えも少し待つことにする。しかし、あまり長くも待てん。だから、彼と同じ夏休みの終わりに答えを出してくれ。それまでは私も何も言わない。分かったな。」
相変わらずの高圧的な態度だが、その中に譲歩はかなり入っているように思えた。陽介も
「分かりました。」
一応納得していたようだった。
「では、また会おう。何かあれば私に連絡してくるといい。」
「ご厚意に感謝します。」
玄関で、東次郎氏とそのようなやりとりを交わす。東次郎氏はうなずくと今度は深月に向かって、
「またな。深月。」
と一言。その一言がよほど嬉しかったのだろう。深月は少し目頭を熱くしながらも、
「またね、お父さん。」
硬くない言葉でそう言っていた。

東次郎氏帰ると、自然と先ほどまでいた居間に戻っていた。僕はそこで、
「これからお世話になります。よろしくお願いします。」
そんな僕に、陽介は、
「智哉君、ありがとう。」
なぜか感謝の言葉を言われた。
「君のお陰で僕も深月も父との溝の修復が少し出来たよ。すごく前向きになれた気がする。なぁ深月。」
「うん。ともや、ほんとうにありがとう。私・・・私ね・・・あんな風に自然にお父さんと呼べたのがほんとうに嬉しくて、今まで形式的に呼んでただけだった。でも、今日ようやく、本当に心かお父さんって呼べた気がしたの。ともやのお陰だよ。ありがとう。」
「僕は何もしていませんよ。ただ言いたいことを言っただけです。」
深月の笑顔を見て照れくさくなった僕はついそんなことを言っていた。我ながら素直じゃない奴だ。
「でも、ともやがそんな過去抱えてるなんて私思わなくて・・・。何か色々と強引だったよね・・・。ごめん。」
深月は僕に謝ってくるが、僕はむしろ感謝していた。
「ありがとう。あれがなかったら僕はきっと今頃この世にいませんでしたよ。」
笑えない冗談かもしれない。でも今なら笑える。それは僕が生きようと生きたいと前向きになっているからだ。
「ほんに縁じゃな。」
おばあさんはぽつりと一言。そして、続けて、
「養子の話じゃが、そんなに気にしなくてええからの。東次郎が勝手に言っておることじゃから。」
おばあさんはそう言ってくれる。これも僕を気遣ってくれていることがほんとに感じることが出来て嬉しかった。
「ありがとうございます。でも少し考えても良いかもしれないと思っています。本当にあの家に僕は戻りたくないですし、それに自分で何とかできるかどうかも正直分かりません。だから少し出来るかやってみたいと思います。それでまた考えてみたいと思います。」
今の僕に言えることはこれぐらいしかなかった。でもこれから全てが始まるのだと思う。
「そうか。まぁ何事もやってみてがええかもしれん。ならこの休みは働いてみるんじゃな?」
「それも考えます。」
「まぁ焦ることはなかろう。家のことは心配せんでいい。じゃから今はやりたいことをやってみればええじゃろう。」
「何から何まで本当にありがとうございます。」
僕はただ感謝するしかなかった。外の世界はなぜこんなにも温かいのだろう。僕のいた世界には不安と恐怖しかなかったのに。
「ではこれでお開きじゃ。智哉さんは風呂にするかね?」
「僕は後でいいです。またあの部屋をお借りします。」
「かまわんよ。好きに使っていいんじゃ。これから智哉さんの家にもなるんじゃから。」
そう言ってくれるおばあさんの言葉に少し目を潤ませながら、
「はい。」
と笑顔で答える僕であった。

部屋に戻った僕は、風呂を待つ間どうやって学費を捻出するかを考えていた。それだけではない。親とのけじめもつけなければならない。僕はどうやって母に会えばいいか悩んでいた。正直もう会いたいとは思わない。しかし、一度は会って話をしなければならないだろう。きっと向こうは無関心だろう。しかし、あの母のことだ今更になって親権がどうのこうのと言ってきそうなきもしなくはない。なにせ外面は良いように見せたい人だから。そんな風に色々と考えを巡らしていると、部屋の外から声が聞こえる。
「あの・・・ともや。」
この声の主は言うまでもない。
「どう・・・。」
そこまで言って昼間の約束を思い出した。
「どうした?」
「お礼が言いたくて。その・・・。」
「さっき言ってくれたからいいよ。それにそんな大したことをしたわけでもないから。」
そう言って済ましてしまおうと思った。そんな言葉以上に彼女の言葉は強かった。
「ちゃんと言いたいの。入ってもいい?」
「う・うん・・・。」
その言葉に負けて僕は部屋に入ることを肯定していた。襖が開いて深月が入ってくる。なぜか変な緊張感があった。
「あの・・・。そのね。本当にありがとう。私ほんとに嬉しかったんだ。ともやが守ってくれて。」
「まぁ・・・でも別にお礼を言われるほどじゃないよ。殴られるってのはやられても見ててもいい気分じゃないから。」
僕はその瞬間、過去の忌まわしき記憶が蘇ってきた―――――


それは一学期に通っていた学校・・・。始めはクラスの一人に肩がぶつかるという些細なことだった。
「おい、肩ぶつかったぞ。謝れよ。」
「あっ、ごめん。」
「おまえ、キモいんだよ。」
その返答を僕は聞き流した。関わらないほうがいいと思ったからだ。だが、向こうはそうは取らないだろう。今思えば、そこが僕の大きな過ちだったのかもしれない。その次の日からだった。学校へ行くと、物がなくなるという現象から始まった。これが徐々にエスカレートしていく。ある日のことだった。
「おい、あいつ何か雑巾みたいじゃね?」
誰かが言った。それが伝染した。いつの間にかあだ名になっていた。そして本名で呼ばれなくなった。
その頃はまだ僕を守ってくれた人がいた。
「そんなひどい言い方やめろよ。智哉に謝れよ。」
「うざいなぁ、お前。じゃあお前がこいつの代わりになるのか?」
「僕はやめろと言ってるんだ。」
するといじめの主犯格の男子がいきなり殴りかかった。手加減はしていないようだ・・・。
「やめて!!お願いだからやめて!!」
「んじゃこいつの代わりにお前殴られろよ。」
僕は頷いた。僕のせいで彼は怪我をした。だから僕だけ不幸になればみんな幸せになれる。少なくとも普通の生活が送れる。だから僕は受け入れた。それから彼らがむしゃくしゃしてる時はサンドバッグになった。それからパシリも。
「おい、購買でパン買ってこいよ。」
そう命令されるのは日課になっていた。
「急がねぇと間に合わないぜ。」
僕は急ごうと走り出す。しかし、誰かが足を引っ掛けた。僕は廊下に転んだ。
「さすがは雑巾。床綺麗にするのがほんとの仕事ってか?あははは。」
「早く行けよ。なくなるだろ。」
「何してるの?」
そこへ女子がやってくる。これでさらにひどくなる。
「何してんの?あいつ。」
「キモいんだけど。」
「てか雑巾だから汚くて当然よね。」
「だろ?しかも自分から廊下に体こすり付けてやがるんだぜ。」
「え〜マジキモいんですけど。」
僕は視線と言葉の威圧によって、人との関わりを避けるようになっていた。
「先輩?どうしたんですか?」
帰り道、中学時代の後輩が声を掛けてくれた。しかし、僕は人と関わりたくなかった。だから、冷たかった。
「何?僕と関わるといじめられるよ。ほっておいてよ。」
「いじめられてるんですか?先輩、大丈夫ですか?」
「僕のことなんかほっておけばいいだろ。帰れよ。僕と関わるなよ。」
僕はそうやって全ての関係を切ることで自分を保とうとした。学校はいじめの存在を認めず、先生に相談しても取り合ってはくれない。それはそうだ。主犯格の生徒は権力にものを言わせる人間の息子だったからだ。僕は自分がそうなれば誰にも危害が及ばないし、迷惑をかけない。もう、そうするしか出来なかった。あの時庇ってくれた彼はどうしているだろう?それからあの後輩は今・・・。あっ・・・。あの時駅で会った後輩だった・・・。僕は今更になって思い出した。あの子には悪いことしちゃったな・・・。でももう会うことはない。僕のことなんてもう忘れているだろう。あの時に答えを一応出したから・・・。でも、一言謝りたかったな・・・。今更だけど。などと思い返していた。


「ともや、ねぇ?ともやってば!!」
横に深月がいる。僕は我に返った。
「もう、人の話聞いてよね。」
「ごめん・・・。」
「それとさっき敬語使ってた。だから100円追加ね。」
「えっ?ほんとに?」
「うん、ほんとに。」
やはり意識しないと自然と敬語になっているんだなぁと思うと同時にそこまで厳格にしなくてもという思いが僕の中を駆け巡る。そんなことを思っていると、
「でね、話は変わるんだけど、私ね、ともやにお礼がしたくってね。」
「お礼なんていいよ。」
「私はしたいの。だから何かして欲しいこと言って。」
僕は物思いにふけっていたので、いきなり何をして欲しいと言われても思いつかない。
「深月がしたいお礼でいいよ。僕は何をしてもらっても嬉しいし。」
今は何かしてくれる、それだけで嬉しかった。
「ん〜じゃぁね〜。」
深月は少し思案して、いきなり僕の頬に顔を寄せてきた。
「えっ?」
僕が言葉を発した瞬間、彼女の唇が僕の頬に当たっていた。そしてすぐに離れる。するとすぐに僕に背を向けて、
「じゃぁね。お・おやすみ。」
そう言ってそそくさと部屋を出て行った。僕はそんな出て行った所を見つめながら、彼女が触れた頬に手を当てていた――――


人は生きていく上で糧となるものを得ていかなければならない。単純に存在を維持するのであれば食物である。今はそれを買う為に貨幣を得なければならない。その貨幣と交換した食物を得るだけであれば他の動物と寸分違わないだろう。しかし、人間はそれだけでは生きていけない。人間は孤独では生きてはいけないのだ。そこに必ず他の人間と触れ合い、関わることがなくてはならない。人間は心の通い合い、触れ合いがあって初めて人間と言えるのではないかと僕は思う。

だから昨日の触れ合いと呼ぶにふさわしい出来事を僕はどう捉えればよいのか分からなかった――――

彼女はお礼と言っていた。それで割り切っていれば何も問題はない。

そう思っていればいいのだが、僕自身が少し割り切れていない部分があった。

自分でも分かりにくい感情。

だから考えないことにした。その感情を自分の中から追い出すことにした。

なんとなく今の僕の中に生まれてはいけない感情だと思うから・・・。


朝・・・。色々と考えていたら寝ていた。一応布団の上にいるが、何もかけずに寝ていたようだ。今夏で良かったと心の中で安堵する。起き上がると寝る前の散らかった部屋が視界に入ってくる。何か起きるのが鬱陶しくなってくる。そこでふと思う、こんな感情を抱くということは少しづつではあるが精神的には安定してきたのではないのだろうかと。いつもなら、まだ生きているとかそのまま眠り続けていたら良かったのになどということを朝一番に思う人間だった。そう思わなくなったのは大きな回復だろう。
「さてと・・・。」
僕は布団をたたんで着替えを済ますと、朝食を食べに居間へと行く。
「おはようございます。」
「あ・おはよう。」
真っ先に声を掛けてきたのはやはり深月だった。しかし、どことなく昨日と雰囲気が違う。何かよそよそしい感じがした。やはり昨日のあれが緊張してまだそこから抜け切れていないのかなと思う。なにせお礼と言ってほとんど初対面の人に無理してあんなことをしたんだから。
「いつまでなの?学校。」
僕は炊飯器からご飯をよそいながら深月に尋ねる。しかし、深月からの返答はない。僕は深月の顔を見る。すると、深月は、
「え?私の顔に何にかついてる?」
完全に聞こえていなかったようだ。僕は他の人に比べて声が小さめなのだ。だから時々こういうことが起きる。僕はもう一度同じ質問をしてみた。
「あっ、うん。今日までだよ。」
「そっか。」
それ以上は話が広がらない。僕も広げるつもりはなかった。その時陽介が、
「智哉は今日からバイト探しかい?」
「ええ、そのつもりです。夏休みはバイトで学費を稼げれるかやってみないといけないですしね。」
「なるほどね。でも、無理はしないように。息抜きは適度にしたほうがいいぞ。」
「はい。バランス考えてやります。」
こうして流れていく朝食の時間。しかし、やはり今日は雰囲気が違っていた。特に深月の様子が・・・。
「深月、そろそろ行く時間だぞ。」
陽介に促されて深月は急いでご飯を食べる。僕はそれ以上触れないようにした。そんな時だった。
「おはようございます。」
玄関から声がする。丁度居間から出た陽介が玄関へ向かう。
「毅、どうした?こんな朝から。」
玄関の会話が居間にも聞こえてきた。僕は食べながら自然と耳に入ってくるそれを聞いた。
「深月いる?」
「お〜い、深月。毅が来てるぞ。」
「は〜い。」
声と共に深月が走って玄関に向かう音が聞こえた。
「ごめんなさい。待たせちゃって。」
「いや、いいよ。んじゃ行こうか。ってことで陽介。」
陽介はそれで意味を察したのだろう。
「分かったよ。んじゃ深月、学校でな。」
「うん。先に行くね。お兄ちゃん。」
深月は毅と呼ばれる人と先に出て行く音が聞こえる。
「智哉。行ってくるよ。」
陽介は玄関から僕に一声かけてくれる。僕は急いで玄関へ行き、
「いってらっしゃい。」
陽介を見送った。僕はとりあえず、駅に向かってバイト雑誌でももらってこようとおばあさんに声をかけてそのまま家を出た。今日もいい天気だあるが、暑くなりそうだ。僕は駅へ向かう。学生の姿がちらほらと見える。そのまま少し歩いていると、
「あ・あの・・・。」
と後ろから声を掛けられた。僕は振り向く。そこには見知らぬ少女が立っていた。深月と同じ制服なので同じ高校なのだろう。僕は少女の言葉を待った。
「今、皆瀬川家から出てこられましたよね?」
少女はそう僕に尋ねてくる。普通に考えて同じぐらいの年の見知らぬ人間が見知った家から出てくれば素性を知りたくなるのは当然なのだろう。だから僕は肯定の意味も込めて自己紹介をすることにした。
「はじめまして。皆瀬川家に居候することになりました信田智哉と言います。よろしくお願いします。」
とにかく丁寧に挨拶しておく。自己紹介と第一印象は大切だとよくいうからである。
「あっ、は・はじめまして。私、深月ちゃんの友達で、富原みかさって言います。」
「富原さんはこれから学校ですよね?」
「はい。そうですよ。信田さんもですか?」
「僕は、まだ来たばっかりなので、多分後期から通うことになると思います。」
「後期・・・?あっ、前の学校は前期後期に分かれていたんですね。こっちの学校はまだ三学期制なんですよ。」
富原さんの口調は非常に落ち着いたもので、その場だけ時間が少しゆっくりと流れるようなそんな雰囲気にしてくれる人だと僕は認識した。僕らは歩きながら話を続ける。
「でもそれなら今からどこに行くんですか?」
「駅ですよ。夏にバイトしようと思ってまして。」
僕は言ってて思った。初対面なので気にしなくてもいいのだが、やはり敬語というのは非常に他人行儀過ぎていけない。深月が敬語を止めて欲しい気持ちがなんとなく分かった気がした。
「バイトですか〜いいですね〜。」
富原さんは何かを考えながら笑顔を僕に向けているような気がした。少し笑顔の奥に何かを見ているようなそんな感じがしたのだ。考えられるのは僕がどういう人間かを見ているのだろう。詮索されていて当然なのであまりそこを意識しないようにした。
「あっ、私こっちですから行きますね。」
富原さんはそう言うと丁寧にお辞儀までしてくれた。僕もそれに返す形でお辞儀をする。彼女は背を向けて学校への道を歩いて行った。僕はその姿を少し眺めて、駅へと進路を取る。駅に向かう中で先ほどの会話を思い返していた。ある程度思い返したところでふと気付く。僕はいつの間に普通の会話が出来るようになっていたのだろう。深月と最初に会った時とは違う感覚だった。
「あの世界を出て数日でここまで変われるのは正直驚きだなぁ・・・。」
なんて独り言がでるほどである。嬉しい気持ちに包まれながら駅への道を軽快な足取りで進んでいた。

夕方。僕は駅にあった無料の求人雑誌を読み終わって、おばあさんに頼まれて夕食の買い物をしようと商店街へと繰り出していた。今日はメモを見る限りでは多分ロールキャベツだろう。僕も少し料理をしなければならないなと思いながら商店街を歩いていると、
「あれ、智哉?買い物?」
深月が僕に気付いて近づいてくる。その横には朝出会った富原さんともう一人の女子の姿が目に入った。
「うん。ちょっとおばあさんに頼まれてね。」
「そっか〜。今日は何かな〜。」
深月は僕が見ていたメモを覗き込んで見る。
「ロールキャベツか〜。」
「みたいだね。」
僕は話しながら、一緒にいた二人に目が向かう。
「あっ、紹介するね。こっちが隣りのクラスの森阪美有。でそっちがね・・・。」
深月が紹介する前に、
「朝はどうも。富原さん。」
と僕から富原さんに声を掛ける。富原さんは笑顔で、
「覚えていてくれたんですね。ありがとうございます。」
と言ってくる。僕はそれに続けて話す。
「今日の朝ですからさすがに覚えてますよ。」
「そうでした。それよりも見つかりました?」
「いや・・・それがなかなか見つからなくて・・・。とりあえずコンビニ辺りから当たろうかと思ってます。」
縁朋町の求人事情は正直厳しい。なにせ田舎町だから大きなデパートやショッピングモールのようなものが無いうえ、あまり飲食店の店舗も多くない。それ以外でもあまり行こうというものが見つからなかった。贅沢などいってはいられないのでとりあえずはコンビニでもやろうと考えているところだった。
「あの、良かったらなんですけど、私の家酒屋で、男手が欲しいって言ってて。夏休みの間だけなんですけど、どうでしょうか?」
「そうですね〜。詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
「はい。では歩きながらお話しますね。」
そして歩きだそうとする僕ら。何か忘れてる。すると後ろから、
「ずいぶんと仲良しなんだね〜。」
深月の冷めた声が聞こえた気がした。というかなぜそんな冷めた声をしているのだろう。
「今日ちょっとバイトの話とかしてたから。あっ、買い物してこなくちゃ。富原さんごめん、またの機会でいいでしょうか?」
「では、明日深月ちゃんの家に伺いますね。」
「お願いします。それではお先に・・・。」
僕は走り出す。というか逃げる。深月は、僕が走りだしたので、
「こらっ!!智哉待ちなさい!!」
案の定追っかけてきた。僕は追いつかれないように必死で逃げる。彼女も本気だ。
「何か知らないけど、ごめん!!謝るから怒りを鎮めてぇ〜!!」
「ぜっっっったい!!許さないんだから!!」
その逃避行は日が静まるまで続いた―――――

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