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君と僕との存在は (中)

<K.G 作>
〜交錯〜




僕は一つ踏み出した・・・。  これは僕の人生を変える一歩かもしれない。僕にとって大きかったのは人を信じるという一歩だった。今までの自分の人生を根底から覆す一歩になることに間違いはなかった。迷いはなかった。僕が初めて自分の想いを伝えた相手。親にも出さなかったその想いを僕は彼女に伝えたのかもしれない。そしてどこかで・・・そう・・・どこかで・・・。



僕は違うものを彼女に求めようとしているのかもしれない。



親から得たことのない大きな想いを—————



そんなのは望んでいないはずなのに、



無意識のうちに求めているのかもしれない。



だから僕は・・・その想いと対峙する。



その想いを乗り越えたい。その衝動が僕を突き動かしていく。



人の心は時として大きな変化をもたらす。それは自分が変えようとする内発的な衝動かまたは自分以外の他人がその心を鎖を解き放ってくれるかのどちらかだと僕は思う。どちらかとはいうものの、やはり自分が変えようとする衝動に動かされるきっかけは他人が与えてくれる。だから人は一人では生きてはいけないのだ。一人ではただの動く物でしかない。



だから人は人に惹かれていく。恋愛といった感情のみならず、本質的に、本能的に————





彼女は部屋にいた。外では花火の音が聞こえる。少し感情が収まってきた。彼女は家に帰ってすぐ部屋に入り、それから未だに外に出ていない。今日は楽しみにしていた祭りのはずだったのに・・・。

「なんで・・・今日なのよ・・・。」

彼女はベッドに顔をうずめながらきれい輝きを放っているであろう火の祭典の音だけをかすかに聞いていた。彼女は初めて祭りにいかなかった。これまで、皆瀬川家として、そして深月として毎年のように参加していたその祭りに彼女は自分の意思で行かなかった。

「ばか・・・。ほんとに・・・ばかなんだから・・・。」

感情がぶりかえしてくる。彼女はその感情のやり場を完全になくし、あふれ出ようとする洪水と必死に闘う。しかし、自分の本心には勝てず、そのまま声を殺して・・・。



湯本翔也は祭りに来ていた。そして、彼女を探す。これでも彼女の恋人。その自覚と責任はあった。いつもこの祭りには顔を見せる。だから約束をしていなかった。ここであって話をしようと決めていた。しかし彼女は見つからない。翔也としては誤算だった。なぜ、いないのか・・・。

「何かあったのか・・・深月・・・。」

彼は、皆瀬川家に向かうことにした。もしかしたら、何かに巻き込まれているのかもしれない。そんな予感がなぜか彼の中を駆け巡った。



僕は、家に着いた。しかしすぐには入ることが出来ない。さっき僕が深月に言ったことは自分の思いだ。しかし、それでもなぜか自分の中に後ろめたさに似た思いが生まれていた。僕は悪いことはしていないはずなのに・・・。

「でも、いつまでもここにいてもいけないな。入ろう。」

僕は決意し、家の扉を開ける。そして、いつものように、

「ただいま。」

と一声かけた。すると、晴枝おばあさんが出迎えてくれた。

「おかえり。お祭り、どうじゃった?」

「はい、楽しめました。」

僕は笑顔でおばあさんにそう答えた。そして自分の部屋に戻る。やはり深月は出てくることはなかった。家にはいるはずだが、気まずかったんだろう。僕も同じような気持ちだが、深月のそれとは比べものにならないだろう。明日はありがたいことに休み。僕は明日もみかさと会う約束をしてきた。やはりいつもと違う感覚を僕にもたらしていた。早く会いたい。それが自分の中で先行していた。

「もどかしいなぁ・・・これが人と付き合うってことなのかな。」

床に寝転んで天井を見ながら、僕はそんなことを考えていた。しかし、そればかりは考えていられない。これから僕は少しずつ自分の力で生きれるようになっていかなければならない。



そんな時に電話が鳴った。僕は、玄関の近くにある電話まで向かう。そして受話器を取った。

「あっ、皆瀬川さんのお宅ですか?」

僕は受話器越しの出た声の主がすぐに分かった。

「あっ、信田智哉です。」

「あぁ、信田くん。この前の面接の結果をお伝えするよ。」

この前僕が面接を受けたコンビニの店長の持田さんだ。

「まず・・・。」

「はい・・・。」

僕は息を呑んだ。面接なんて初めてだったので正直自信がない。だからすごく緊張していた。

「・・・君を採用することにしたよ。」

「あっ、ありがとうございます。」

僕はその場でお辞儀していた。嬉しい気持ちと安堵する気持ちが入り混じって僕の中を満たしていた。持田さんは続けた。

「えっとね、明日にもう一度来て欲しいんだが、都合のいい時間はあるかい?」

持田さんはすぐにでも仕事に慣れてもらいたいようだ。そんなに人には困っていないようだが、でもやはり一人でも手助けが欲しい時も出てくる。その時のためなのだろう。そんな持田さんの思いよりも僕はこれで少しでも自立という二文字に近づけたことに嬉しさを感じていた。

「はい。明日の午前中でよければですが。」

みかさとの約束は午後。簡単な手続きだけなら午前でも大丈夫だろうと僕は思っていた。

「そうだなぁ、午前中に話をしていきなり午後からってのは厳しいかな?」

「それはちょっと・・・。僕も色々と予定がありまして・・・。」

少し自分としては不思議な感覚だった。いつもなら何よりもバイトを優先するのだが、やはり今日のことがあって少しずつではあるが優先順位が変わりつつあった。一歩進んだことが自分とそして周りに変化を与え始めていた。

「そうだなぁ、じゃぁ、いつから始めるのかも明日来てもらって時に決めよう。それでいいかな?」

「はい。ありがとうございます。」

「よろしくお願いしますね。ではまた午前中に。」

「はい。失礼します。」

僕はあいさつをして電話を切った。晴枝おばあさんがその一部始終を聞いていたようで、

「なんじゃぁ、まだ働き口を探していたのかい?」

「はい、やはりあのバイトだけじゃ色々と大変ですし、まだ足らないですから。」

「智哉さんは命の恩人じゃからいくらでも手助けさせてもらいたいんじゃが・・・。」

「そのお気持ちだけで十分です。それにお世話にならなければならない可能性は高いんです。今のままでは学費どころか家賃すら払えません。でももし学費をまかなって頂けることになれば、僕は生活だけでも自分の力で何とかしたいんです。わがままかもしれません。でも、昔の自分のように何もせず、逃げるような人生は送りたくないんです。分かってください。お願いします。」

僕は晴枝おばあさんにそう言ってお辞儀した。するとおばあさんは僕の肩に触れながら、

「そこまでの決意をしてるんじゃったら何も言いはせん。でもじゃ、もし何かあれば遠慮なく頼ってくれたらえんじゃからな。」

「はい。ありがとうございます。」

僕はまたおばあさんの温かな心に触れた気がした。すごく深くて温かい。僕はそんなおばあさんのような心の持ち主になりたいと思っている。そう、人を深く想える人に————



そんな時だった。玄関のチャイムが鳴る。僕はそのまま玄関に出る。そこに立っていたのは————



「よう、いたのか。」

「どうしたんだ?こんな時間に?」

「いや、ちょっと深月のことが気になってな。いるか?」

湯本翔也。なぜか少し顔に焦りのようなものを感じさせながら、彼は深月がいるか尋ねてくる。するとおばあさんが、

「深月なら部屋にいるはずじゃが。」

と僕の代わりに答えてくれた。その答えを聞いた湯本は、

「ちょっと、会わせてもらってもいいかな。話があるんだ・・・。」

真剣な目をこちらに向けてくる湯本。僕はそんな彼の姿勢に負けて、湯本にそこで待つように告げると深月を呼びに部屋へと向かう。しかし、その途中で彼女が部屋から出てきた。僕はそこで声をかける。



「深月。湯本が・・・。」

しかし、僕は深月のその顔を見た瞬間何も言えなくなった。彼女は目を赤くして、顔には沢山流れたであろう洪水の跡が残されていた。僕はそんな深月の顔を色んな思いで見つめていた。



そこにあったのはまず罪悪感———



しかしそれだけではない。そこまで僕のことを想ってくれていたという嬉しさもまた僕の中に生まれていた。それを感じてはならないと思いつつも僕の中は正直に素直に感じていた。



「少し、出てくる・・・。」

深月はぼそっとそう言うと、その顔のまま玄関に向かう。僕は横切る深月に何も声をかけてあげることなど出来なかった。深月が玄関に向かうと今度は湯本が何も言えなくなっていた。しばらく見つめた後で湯本は声をかけた。

「深月・・・。」

「行こう・・・。」

「あ、あぁ・・・。」

そのまま二人は外へ出て行った。僕はそんな彼女の後ろ姿を見ながら、まだ何も言えないでいた———





家から出てすぐの道の端に彼と彼女は立っていた。

彼女は目の前にいる恋人の顔を見た。心配そうな顔。しかし、そこには出会えたという安堵も入り混じっているようにも彼女は感じていた。

「どうしたんだ?」

優しく彼は聞いてくる。しかし、彼女は答えない。いや、答えることが出来ない。それを答えることは彼に対する裏切りをしたことを認めてしまうことだからだ。

「何でも・・・ない・・・。」

「何でもないわけないだろ。目とか真っ赤にしてるしさ。」

「いいの、気にしなくて。」

「気にしないとかできねーよ。」

「しつこい人、嫌いだから。」

彼女はそれだけ言うとその場を離れようとする。そこへ彼の言葉が投げかけられた。

「智哉って奴のこと・・・。気になるのか?」

それが最後の引き金。

「なに適当なこと言ってるのよ・・・。」

彼女は少し小声で答える。それは彼には聞こえなかった。

「えっ?」

彼が聞き返すように反応すると、

「私のこと何も分からないくせに!!勝手に勘違いして、自分で決め付けて、勝手に色々やって、それで私のためとか私を言い訳に使って、それで今度は恋人面して、何がしたいわけ!?」

彼女は声が少しかすれながらも言い放った。彼は何も答えられない。

「もう・・・いいでしょ。私に関わらないでよ。」

彼女は最後にその一言を告げ、その場から離れていく。彼はそんな彼女の後姿を黙って見つめていた。色んな思いがこみ上げる。彼女の後姿が歪んでいく。いや・・・これは・・・。

「俺・・・俺は・・・。」

彼はそこにへたり込んでしまった。そして彼女が家の中に消えていくのを単に流れる映像という感覚で眺めていた。しかし彼にはその視覚以上に重い感情が体中を駆け巡っていた。

「深月・・・深月・・・。」

彼の中にある重い感情は彼を深く傷つけていく。たとえそれを和らげるために彼女の名前をつぶやいたとしても、その傷が深まるばかりであった—————





深月が家に戻ってくるまで僕は玄関にいた。何も話すことはないかもしれない。でも、なぜかいようと思っていた。少しして家の門を閉める音、そして玄関前に彼女のシルエットが映る。

「み・・・。」

声をかけようとしてやめた。僕は彼女に対して何もできない。僕は彼女の期待に答えなかった。それが自分の中に深い影を落としていた。玄関の扉が開き、彼女が玄関に入ってくる。

「お・おかえり・・・。」

僕は何とかそれだけは言えた。案の定、彼女は何も返してはこない。そのまま玄関から廊下に上がり、僕を見ることなく部屋に直行した。僕はそれ以上声などかけず、彼女が部屋に入るまで彼女を目で追った。しかし振り返ることもなく彼女は部屋に入った。

「そっとしておきなされ。」

気付けば同じように彼女の部屋へ視線を向けていた晴枝おばあさんがいた。

「それはそうなんですけど・・・。」

「あの子はもう少し強くならんとな。たかだか失恋ぐらいでクヨクヨすることなどあるまいて。」

「えっ?」

僕はおばあさんの台詞を聞いてびっくりした。

「やはりそうじゃったんじゃな。何となくそうじゃないかと思っておったんじゃ。」

「でもどうしてそう思われたんですか?」

「そりゃぁ、前にも同じことがあったし、それに智哉さんの顔を見ておると何となく申し訳なさそうな顔をされておられた。じゃから多分申し出を断ったんじゃろうなぁと思うてな。」

僕はこの家の人は人を良く見てるとつくづく感じさせられた。

「しかし智哉さんが気に病むことなどなくていいんじゃよ。これも経験じゃ。それにこれぐらいでヘコたれていてはこれからの人生など乗り切っていきゃしません。じゃからこれを乗り越えてまた一歩大人になっていくんですよ。」

僕は晴枝おばあさんのその言葉に少し救われた気分になった。それでも僕の中から完全に罪悪感が消え去ったわけではなかった—————





‐翌日・朝‐

僕はいつもよりも早く目が覚めた。布団の中から天井を見つめる。少し考えた。今僕はみかさと付き合い始めた。それはすごく嬉しいし、彼女のことは好きだ。大切にしたい。



でも————



深月のことも同時に大切にしたいという思いを持っている。それは恋愛感情ではない。深月は僕にとって今まで感じたことのなかった友人をそして家族を感じさせてくれた。だから大切にしたい。楽しく笑い合っていたい。僕は何より彼女にそれを望んでいた。



なのに現実は違う。彼女はなぜか僕に友人以上の想いを抱いた。そしてそれが膨らみ、僕にその想いを告白した。それが今僕と彼女の間を隔てる壁になっている。ほんとはあっさり済ませば良かった。僕も彼女も真剣に考えていたんだと思う。だから時間もかかったし、これだけ後を引いている。それだけに辛い部分もある。



「でも前に行かないと変わらないよね・・・。」

僕は独り言をつぶやいていた。そして自分で驚く。本当に僕にとってこの夏は人生の転機になった。交通事故、そして家出。ここまではあまりいいものではなかった。そして彼女との出会い、皆瀬川家での居候としての新しい生活———

「これが縁って奴なのかな。」

言葉に出すと信憑性が湧いてきた。しみじみそう感じながら僕はモゾモゾと布団から出る。今日はバイトの面接とみかさに会うというなかなか忙しい一日。僕は起き上がると背伸びを一回して布団をたたみ、部屋を出た。

「あっ・・・。」

僕が部屋を出たら深月と鉢合わせした。少し気まずい空気が流れそうになったが、

「おはよう、ともや。」

彼女は笑顔で僕にそう返してくれた。僕はそれに呆然として、

「お・おはよう。」

とすんなりあいさつが出来なかった。深月は話を続ける。

「そういえば、コンビニのバイトに受かったんだって?」

「あ・ああ。」

「おめでとう。」

普段に戻っている深月のペースに僕は徐々に合わせ始めていた。

「ありがとう。まぁやれるだけやってみるよ。」

「うん、でも・・・。」

「ん?」

「やっぱりうちの養子になるのは嫌?」

「そういうわけじゃないよ。自分でやれるだけやってみたい。多分ダメなのも何となく分かってる。」

「それでもするの?」

「とりあえず自分で出来る手立てはしておきたいね。」

「ふ〜ん。」

それ以上深月はその話はしてこない。

「朝ごはん、食べよ。」

「そうだな。」

昨日の雰囲気を全て捨てて彼女は僕と向き合っている。それは僕にも何となく感じ取れた。だから僕は彼女に合わせる。色々思うけど、少なくとも彼女が前向きならそれに合わせていくことが僕の中の罪悪感を少しでも取る方法だと何となく思うからだ。それで罪悪感を取り除こうなんてのもそれこそ傲慢なのかもしれない。でも人は前を向いて歩く存在だ。

「いただきます。」

僕は箸を持って、目の前にある茶碗を持ち上げる。いつもと変わらない食卓。晴枝おばあさんに陽介、そして深月。僕はもう一度普段の自分に戻れそうな感じがしていた。



僕は朝食を食べ終わると出かける支度を始める。今日は彼氏としてみかさに会う日。昨日からそうだが、やはり新鮮さを感じている。

「どこか出かけるの?コンビニの面接?」

僕が出かけようとすると深月が僕に尋ねてきた。

「あぁ、午前中はいついけばいいとかって話しをしたいみたいだから。」

「午後空いてる?少し話をしたいんだけど。」

深月は僕に何か話があるようだが、あいにくと僕は今日一日予定が詰まっている。

「午後も少し出かけるんだ。それが済んでからならいいけど。」

「そう・・・。まぁ急いでないし、ともやが時間に余裕があるときでいいよ。」

「分かった。じゃぁ行ってくるよ。」

「うん、気をつけてね。」

「おう。」

僕は玄関の扉を開けて外に出る。外は相変わらず暑い。しかし、その清々しいまでの太陽光は僕に大きな力をもたらしてくれているように感じた。僕は商店街の先にあるコンビニ向かって走り出す。



「とりあえず週に二日ぐらいのペースからスタートしようか。」

コンビニに着くと、店長の持田さんは、すぐに僕を事務所の方へ案内した。そして、儀礼的な採用に際しての決まりごと、給与形態などの話もそこそこにすぐに世間話になった。それも落ち着いて、今シフトと呼ばれる勤務の形態についての話をしているところだ。まだ僕には分からない言葉がたくさん出てくるだろう。少しずつ慣れていきたい、使いたいと思いながら話を聞いていた。

「それぐらいからだと助かります。もう一つのバイトとの兼ね合いもあるので上手く回せるようになったら増やして頂いていいので。」

「ん、分かった。ところで信田くん。」

「はい。」

「うちの娘が君を知っているそうなんだが友達かい?」

一瞬何のことか分からなかった。持田さんの娘さん?僕がここで知っている女性といえば、深月、みかさ、晴枝おばあさんぐらいなのだが。

「えっ?僕と店長さんの娘さんがですか?」

「ああ、まぁ一度しか会っていないそうなんだがね。」

「なら、分からないですね。」

「うちの娘は君が住んでる皆瀬川家の深月さんと友達でね、それでだとは思うんだが。」

「深月の知り合いなら見かけたことがあるかもですね。」

「まぁ小さな町だからな、そういうこともあるもんだ。ほんと世間は狭いよ。」

「そうですね。」

そう相づちを打ちながら僕は誰だろうかと考えた。けどやはり思い当たる人が見つからない。

「まぁ娘に会ったら仲良くしてやってくれ。あんまり自分から話しかけたりしない子だから友達がたくさんいるほうじゃないからね。」

「あぁ、はい。」

僕は結局自分の中で娘さんが誰なのかの結論は出なかった。



コンビニでの用事を済ませた僕はそのまま酒屋に直行した。僕が着いたとき、店の前でみかさが待っていた。彼女は薄地の白いワンピースに麦わら帽子といういかにも夏らしい格好で暑い日ざしが照りつける中待っていた。

「おはようって時間でもないな。」

「うん、でも今日初めて会うからおはよう。」

みかさはそう言って満面の笑顔で僕を見てくれた。それに自然とこちらも笑顔になる。

「そういえば、昼食べた?」

みかさが、いきなり昼ごはんの話をしてきた。確かにそろそろ昼ごはんには丁度いい時間になる。

「いや、まだだけど。」

「それじゃぁ、どこかに行って食べない?私簡単なんだけど弁当作ってみたんだ。」

そう言って後ろに回していた腕を僕の目の前に持ってくる。弁当の包みのようなものが僕の目に飛び込んできた。

「ね、いこっ。」

僕の手を引っ張り歩き始めた。すごく積極的な彼女を見た僕はみかさの横に並んで、

「そうするか。」

そう言って彼女の手をにぎり返した。みかさは少し俯いて顔を隠しながらも、

「うん・・・。」

と一言つぶやいた。



そして今僕達はこの前花火を見ていた社のある山の少し開けた所に腰を落ち着かせた。

「それじゃぁ食べよっか。」

みかさは包みからプラスチックの弁当箱を取り出すと、一つを僕に渡した。

「ありがとう。楽しみだな。」

「そんな期待しないでね、あんまり上手くできてないんだから。」

僕は弁当箱を開けて、中を見た。おにぎり・卵焼き・ポテトサラダなどなど本格的な弁当だった。

「すごい・・・。」

「すごくなんてないよ、卵焼き少し焦がしちゃってるし、ポテトサラダも具が少し大きいし・・・。」

「少しなら全然大丈夫。」

僕は箸を持ってとりあえず、みかさが気にしていた卵焼きに箸をのばして二つあるうちの一つをつかみ、口に運んだ。塩の加減とみりんのバランスが僕にとってはすごく好きな味だった。

「どう?」

みかさは食べてる僕に心配と不安いっぱいの顔を向けてくる。

「好きな味。おいしいよ。」

僕がそういうと彼女は今までの雰囲気を吹き飛ばした明るい顔をして、

「ほんとに?よかった〜。」

「作るの上手だと思うよ。」

「そんなことないよ、最近始めたばっかりだからこれぐらいしかできないけど。」

「ううん、ありがとう。」

僕はみかさの前だと素直に喜べるし、自然と笑顔もこぼれる。なぜなのか自分でも不思議なのだが、これが彼女の魅力なのだろうかと思っている僕がいる。

「そういえば、今日バイトの面接だったんだよね?」

話は午前中のことに変わる。

「あぁ、最初は週に二日からみたい。」

僕は弁当のおかずを味わいながらそう答えた。

「私知らなかったんだけどね・・・。」

みかさは少し含みのある言い方をしたので僕は気になって彼女の方へ目線を向ける。

「コンビニって持田さんの所のだったんだ。」

「ん?みかさ、知り合い?」

僕は普通に聞いた。しかし、みかさはなぜか嬉しそう。

「ん?どうした?」

「今、名前で呼んでくれたから嬉しかったの。」

みかさのそんな一言で僕は少し照れてしまう。

「私も、ともやって呼ぶことにするね。」

こんなささいなことで嬉しさを感じてくれることに僕も嬉しさを感じていた。でも、さっきの話が気になるので戻すことにした。

「それで話戻すけど、店長の持田さんが、うちの娘と深月は友達とかって言ってた。」

「うん、だから私とも友達。」

「でも、僕のことを知ってるってのが分からないんだよな・・・。」

「会ってるよ・・・。」

彼女が小声で言ったのが僕は聞き取れなかった。

「ん?何か言った?」

「ともやは会ってるよ。私と二度目にあった時、あれは商店街だったかな。丁度うちの店でバイト探してるって話をした時に、深月と私ともう一人いたでしょ?」

僕はみかさにそう言われてその日の記憶を思い起こそうとしてみた。何となくそんなことがあったような気がする。一ヶ月ほど前のことなのだが、これまで色々なことがあり過ぎて何となくの記憶しかない。

「う〜ん、何となくだけど覚えてるかな・・・。」

「その子が持田沙依(もちださえ)だよ。」

「そっか。まぁどこかで出会うことがあればあいさつぐらいはしないとな。」

僕が持田店長の娘の持田沙依のことについてあれこれと考えていると、

「私がね・・・。」

みかさが僕に何か言いたそうな雰囲気を出してきた。

「ん?どうした?」

「私がともやのこと好きになったのはその時なの。」

「その時って、商店街で会った時?」

「自分がもしかしたらそうじゃないかって感じたのはね。ほんとは多分・・・。」

「多分?」

「最初からだと思うの・・・。その辺り自分でもあやふやなんだけどね。」

そんなことまで打ち明けてくれたみかさに僕は気付けば抱きしめていた。

「ともや・・・。」

「ありがとう。そんなことまで言ってくれて。嬉しいよ。みかさ。」

「大好き・・・。」

「僕もだよ・・・。」

僕達二人の間の時間はゆっくりと過ぎていって、夏の暑ささえ感じないぐらい二人だけの違った世界へと浸かっていた————





彼女は、自分の部屋の窓から窓の枠の部分に組んだ腕にあごを乗せて空を見上げていた。今日は晴れて太陽の日差しがかなりまぶしい。多分、彼女自身の目も少し充血しているからかもしれないが、それでなくとも充分まぶしい日の光である。

「はぁ・・・。」

想いは届かなかった。彼女はまだそこから立ち直れていなかった。そして昨日、湯本翔也と彼女は別れることになった。彼に想いが向くようになって、周りが見えなくなっていった。

「私・・・。」

彼女は白い雲がゆっくりと浮かんでいる空を見ながら彼のことを想った。彼は今何をしているのだろう。

多分自分の境遇を、この現実を自らで変えようと必死にもがいている———



最初それを見たとき、その姿に彼女は輝きを感じていた。自分も彼を見習わなくては、自分もこの現実を変えていかなくてはと感じていた。そして自分の父親をぶってまでそれを行動に示した。



そして、現実が少しずつ動き始めた————



それに彼女は驚くと同時に、そのことを示してくれた彼に感謝するようになる。そしてすぐに気付いた。



自分はそんな彼に惹かれ始めていることに———



しかし、その想いを簡単に認めることなど出来なかった。彼は必死で殻を破ろうとしている。変わろうとしている。だからそれを自分の個人的な感情で止めてはいけない。邪魔になる。彼女はそう考えていた。



だがそれと同時に今の彼を支えていけるのは私だけだとも思っていた。



彼女の内にあったその矛盾が彼に対しての積極的なあの行動になり、彼に自分の想いを告げると同時に彼に答えを求めてしまった。自分の中にある自制の部分があれほど彼の妨げになると訴えてもその衝動を彼女自身に止める術などなかった。



その結果は彼女が思い描いていたようなものとなった。そして今、彼女は自分のしたことを後悔し、反省している。予想できたものをなぜしてしまったのか。やはりこれが人に想いを伝えたいその衝動とそれに伴う反動なのかと彼女は勝手に思いながらただ空を何も感じることなくただ見ていた。



「おい、深月。」

そんな声も聞こえない。今彼女は一人。

「聞こえてるか〜?」

ついに聞こえるはずのない声まで聞こえるように・・・。

「おい、たそがれてるのもいいが、いい加減反応しろ。その部屋に勝手にはいるぞ。」

「えっ?いきなりはダメって・・・。」

深月は我にかえると、声のした所を見る。するとそこには見覚えのある人が立っていた。

「どうした?深月?何か悪いものでも食べたか?」

その人はそう言って深月を心配している。

「毅・・・。」

「何だよシケた面してよ〜。体の調子ほんとうに悪いのか?」

「そ・そんなことないよ。全然、元気だよ。」

深月は毅に対し、自分の内側を必死で隠して少し無理のある笑顔で返した。

「分かった。」

「何が分かったのかなぁ?」

深月は少し意地悪そうな感じで聞いてみた。すると、

「今までダイエットしてたのが三社祭で沢山食べてリバウンドしてるってことか?」

なんて返ってくるが、深月は表では怒りながらも内面は救われたような感じを受けていた。

「ひどい。そもそもダイエットなんてしてませんから〜。」

「よし、少しは元気出ただろ。外に出て来いよ。」

毅のその一言に深月は大きな安心と温かさを感じていた。すぐに外に出る支度を始める。部屋着を着替えると部屋を出て玄関へ。

「おばあちゃん、ちょっと出てくるね。」

深月がそう声をかけると、姿は見えなかったが、

「気をつけるんじゃよ。」

と一言返ってきた。

「は〜い。」

深月はそれに対して答えると玄関の扉を開けた。そこには毅の姿がすでにあった。

「遅いぞ。」

「私にだって準備があるんです〜。」

「それじゃ、どこ行く?」

「え〜っとね、静かな所がいいかな。」

深月は出口のない迷路に一つの出口に通じる道を見つけた気がしていた。





二人は家の裏山にいた。そこには誰の姿もなく、ただ穏やかな風が夏草を揺らし、太陽の光が地面を暑くさせ、青い空がそんな暑さを涼やかにしてくれていた。

「どうしたんだ?」

しばらくそんな光景を見ていた二人だったが、毅が話を切り出した。

「ありがとう。気を遣ってくれて。」

「何言ってんだ。俺の方が一つ年上なんだから年下の面倒は年上が見るものなんだよ。」

「ほんとうにありがとう。持つべきものは幼馴染だね。」

「そう言ってもらえると幼馴染としては合格かな。」

森毅(もりつよし)。彼はこの皆瀬川家の陽介と深月の二人と小さな頃から仲良しだった。毅は陽介と同い年、深月の二つ上になる。

「私ね、焦っちゃったんだ。」

深月は話し始めた。毅は黙って彼女の話を聞くことにした。

「最初は全然そんな気なんてなかった。すごく辛そうな姿や何かから怯えて逃げる姿がとても切なくて、苦しくて、私じゃとても生きていけないって思った。でも、そんな中でも生き抜こうとする姿が見えた時、感じたの。人の輝きが、強い意志が。だから私も変わろうとした。強い意志を持とうとした。そしたら気付いたの。単純に持ちたいとかじゃなくて、見て欲しかったんだって。見て、私もあなたと同じだって。そう思えてきたらいつの間にか惹かれてた。すごく引き込まれてた。そして私が一番良く知ってて、支えてあげられると思い始めてた。」

少し強めの風が二人の間を通り過ぎていく。この場の雰囲気を変えるかのように。

「でも、それは私の一方的な想いだけだった。相手の想いを考えてたのは最初だけ。気付けば自分の想いをどうやって伝えるかで必死だった。だからこうして後悔してる私がいる。色んな人を傷つけた自分がいる・・・。」

深月は毅に顔が見えないように毅に背中を向けて、

「でも・・・それでも・・・その想いは・・・その・・・。」

「深月・・・。これからのことを考えろ。」

毅は深月を背中から抱きしめていた。それは優しく冷たい背中を静かに温める。

「今は、思いっきり泣け。」

「毅・・・。」

深月は振り返ると彼の胸に顔をうずめ、こらえていた想いを全て感情に変えて出し切った。毅はそれを静かに出し終えるまで待っていた————



「ありがとう。毅。」

「こんなぐらいならいくらでも。俺と深月は幼馴染だから少しぐらい当てにしてくれる人になれればそれでいいからな。」

「本当にありがとう。少し楽になれたよ。」

「少しだけかよ〜。」

毅のその言葉に彼女は笑みをこぼした。

「ふふ、そんなに私を変える力あるの〜?」

「いや・・・そこまで言ってないけど。」

「冗談。でもね・・・。ほんとに感謝してるよ。」

深月は毅から離れるといつもの深月の顔に戻っていると毅は感じていた。

「アイスでも食いに行くか。」

「そうだね。」

二人は裏山から整備された道路へ出る。そして二人仲良く並んで歩いた。





「帰ろっか。」

二人の時間を過ごした僕とみかさは山を手をつないで下りた。終わって欲しくない二人の時間。それもそろそろ今日の終わりとともに終わろうとしていた。

「ねぇ、ともや。」

「ん?」

僕はすっかり名前で呼ばれるのに慣れた。そして今までにない満たされた感覚を常に持っていた。だからみかさの言葉にすぐに反応する。

「今日は、ありがとうね。」

「どうした?改まって。」

「何かお礼が言いたくて。」

こんな他愛のない会話も僕にとってはみかさと話せるということだけで嬉しくてたまらない。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

二人の間に少しの静寂がやってくる。それでも僕はそれが心地良かった。言葉を交わすことなく僕達は心で繋がっていた。まだ深くはないけれど。

「あれ?」

そんな静寂を破ったのはみかさだった。何か遠くの方を不思議そうに見ている。そしてこう言った。

「あれ、深月だよね?」

「えっ?」

僕は深月という言葉を聞いて、みかさの指をさす方向に目を向けた。丁度皆瀬川家の手前の道路に深月らしき女性とそして————

「森・・・先輩?」

みかさのその言葉で僕はさらに目をこらしてそこにいる人達を見た。深月の前に深月や僕よりも背が高い男が立っていた。

「みかさ、誰だか分かるのか?」

「うん。深月と一緒にいるのが、森毅(もりつよし)先輩。私と同じ学校に通ってる二つ年上の先輩だよ。深月とは幼馴染だったと思う。」

「ふ〜ん。」

僕は二人の後ろ姿をしばし見つめていた。僕の見た感じでは並んでいた二人はすごく似合っているように思えた。

「ともや、ともやってば。」

隣りでみかさが握っていた僕の手を軽く引っ張る。

「ん?何だ?」

振り向きざまに彼女の唇が僕のと重なる。そこでしばし時が止まったように僕はそのまま動かずにいた。

「いきなりで驚いた?」

時が再び流れだすと、みかさはそう言って舌を少し出す。その姿が僕は素直に愛おしいと感じていた。大切にしたい人が目の前に立っている。これほど幸せなことはない。

「深月を見てたでしょ?」

「えっ?」

いきなりのみかさの問いかけに僕はびっくりしてしまう。

「今の二人見ながらともや少し切ない顔してたから。」

「いや、そんなことないよ。何か最近元気なくて、大丈夫かなと思ってたから今の見て少し安心してたんだ。」

「そうなの?」

「あ、ああ・・・。」

そう答えた僕に、みかさは少し心配そうな顔をして、

「どんな感じだった?」

「えっと・・・少し引きこもった感じだったかな。ふさぎ込んでいたようにも見えた。」

「失恋・・・。」

みかさのその一言に一瞬僕は大きく反応しそうになった。しかし、これは僕が当事者なので反応すればややこしい話になりかねない。僕はそう思い反応を濁した。

「どうなんだろう、僕はそこまでは分からないなぁ。」

「深月とあまり話さないの?」

「いや、そんなことはないけどそこまで深刻な話はしないよ。それに僕はそんなことになってたらそっとしておきたいと思うから向こうから話すまで聞かないよ。」

「そうだよね。ともやはそんな感じがする。」

みかさには僕は分からないということで納得してもらえた。これで良かったんだろうと内心安堵している自分がいた。なぜだかホッとしていた。

「ともや、明日からもバイトとか頑張ってね。」

「あぁ、みかさと一緒にいれないのが少し寂しいけど、頑張るよ。」

僕は自分から彼女を抱きしめていた。彼女は僕を素直に受け入れてくれた。僕は彼女を抱きしめながらその温かさと満たされた感覚を再び味わっていた。

「それじゃぁ、また明日ね。」

「うん、また明日店で。」

僕達は今日何度目か分からないキスを交わして別れた。僕には別れたその瞬間から会いたい気持ちが湧き上がるのを感じながら家路についた。





僕が家に近づくと見覚えのある車が止まっていた。

「東次郎さんが来てるのか。」

僕は門をくぐって玄関へと続く道を半分ほど歩いた時だった。

「どうしてお前がここにいる!?」

そんな言葉がかなり大きな声で聞こえてきた。僕は何事かと思い玄関へと足早に向かった。玄関に向かう間会話は続けられていた。

「まだ、許して頂けないのですね。」

「当たり前だ!!貴様の家族が我々にしたことを忘れたわけではあるまい!!」

僕は玄関の扉を開ける。すると玄関先で東次郎氏と先ほど深月と一緒に歩いていた森毅が何やら言い争いになっているようだった。というより東次郎氏の一方的な口撃のようだ。

「確かに先代の行ったことはあなた方に多大な被害を与え、恨まれても仕方のないことです。しかし、昔と今は違うんです。変わった私達を見て頂くわけにはいきませんか?」

「それは十分に見ている。私が言いたいのはうちの家に上がるなと言っているんだ!!」

少しきつい口調で東次郎氏は森毅にたたみかけるように話続けた。

「分かりました、帰ります。」

森毅は東次郎氏の言葉を素直に受け取ると、そのまま僕の横を通り過ぎ、玄関の外へと消えていく。

「ちょっと待って毅。」

深月は出て行った森毅を追いかけて外に出て行った。僕はその光景を黙って見ていた。まだイライラが収まっていない東次郎氏は家に上がると、そのまま仏壇がある部屋にいつもよりも大きめの足音をさせながら向かって行った。

「ごめん、驚かせちゃったね。」

東次郎氏がいなくなった玄関に居間から陽介が出てきた。

「いえ、その・・・。何があったんですか?」

僕はとりあえず聞いてみることにした。陽介は少し言うか悩んだようだが、僕の顔を見て話を続けてくれた。

「さっきの彼ね、うちの会社のブランドを作った人の息子なんだ。」

そういえば僕は今までこの皆瀬川家が何の仕事をしているかを知らなかった。なのでいい機会だと思い聞いてみた。

「そのブランドって何て言うものなんですか?」

「そういえば智哉にはまだうちの会社の話をしていなかったね。そのブランドはMINASEってブランドなんだ。昔からある有名なブランドだとは思うんだけどね。」

陽介のその言葉を聞き、僕は鳥肌がたった。



MINASE。これはこの国の人間で知らないものがいないと言われるほど有名なスポーツ用品のブランドである。いまや総収益は国家規模ではないかと言われるほど莫大な売り上げを誇っている。さらに歴史は古く、今から二十五年ほど前から存在する。さまざまな新製品を生み出し、同じスポーツ用品ブランドの追随を許さないほどのトップブランドである。僕はそのブランドを立ち上げた会社の創始者の家に居候しているということを今初めて知った。



「智哉、聞いてるかい?」

陽介の言葉で僕の意識は現実へと戻ってくる。

「ごめん、驚いてて・・・。」

「まぁ今まで隠してたわけじゃないけどそういう反応をしてくれるとやはり大きな存在なんだと改めて感じさせられるよ。」

「でも、そのブランドを立ち上げた人なのになぜ今こんな状況になってるんです?」

僕は流れで聞いたが、それが野暮であることを言った後に気付く。そんな状況を聞いてもこの状態を変えることなど出来ないからだ。しかし、陽介は答えてくれた。

「彼が勝手に色々やって、うちの会社に大きな損害を出したんです。それが会社を作って間もないことだったので、借金にかなり苦しんだみたいで・・・。」

「それで・・・。」

「それから父さんは森家と関わらないようにと僕にも深月にも話して。でもそんなの関係ないと言わんばかりに僕も深月も毅と仲良くするようになって、それで父さんはあの跡継ぎの話とかを僕達が幼いうちから始めて今のような状況になっているんだ。」

人はどのように周りに影響を与えるかなど自分でも分からない。しかし信念で動いたことはたとえ失敗しても許されることもある。けれどもこの場合は違った。彼は勝手に動いた。彼なりに会社の為を思ってしたことが逆に失敗を生んだ。

「この状態は元には戻りにくい。でも、もううちは大企業の仲間入りを果たしている。だからもうそんな恨みの連鎖は断ち切りたい。そういう思いもあって僕は跡継ぎになることを決意したんだ。」

「そうでしたか・・・。」

「ようやく決めたのだな。」

話が終わる頃、東次郎氏が玄関の方に戻ってきていた。

「はい。でもその代わり、森家とは親交を深めるつもりです。今お聞きになった通りです。」

「なるほど。そうきたか。確かにもういいのやもしれん。しかし、前のような関係には戻れんぞ。」

「それは分かっていますよ。でも少しでも前の関係に近づくのならばそれでいいと僕は思っています。」

「・・・・・・。」

陽介の話を聞いて黙り込む東次郎氏。僕は陽介の言葉をかみしめていた。前の関係に近づくならそれでいい————



それはまさに彼女と僕の関係を指し示しているようだった。あれから僕達は、何かすれ違っている。それは仕方の無いこと。それを選んだのは僕とそして彼女だからだ。それでも前のように笑って、楽しい日常に戻りたいと思っていた。それがたとえ前のように近いものでなかったとしても—————



「分かった、そこまでの決意ならお前で何とかしてみろ。」

「はい。ありがとうございます。」

その会話にはすでに父と子というものは無かった。現経営者と次期経営者の会話だった。

「智哉。」

僕は陽介に呼ばれて陽介の顔を見る。

「僕はこれから父さんに、いや東次郎氏について行く。そこで君に頼みがある。」

「分かっています。この家と深月のことは僕でできることなら任せて下さい。」

僕は気付いたらそんなことを言っていた。自分で言って自分で驚く。いつの間にか僕はそんなことを言えるようになっていた。大したこともしていないのになぜか今は自信があった。

「頼もしくなったな、智哉。君になら任せれそうだ。」

陽介はそれだけ言うと、東次郎氏を見た。彼はうなずいて家の外へ出て行く。それに陽介も続いた。

「あれ?おにいちゃん?」

玄関と門の間で深月は二人と向かい合った。陽介は答えを待っている深月に一言答えた。

「さようなら、深月。」

陽介はその言葉を告げると門に向かって歩き出す。

「待って、おにいちゃん、いきなり何で・・・。」

陽介は振り返らない。そのまま門を出て車に乗り込む。東次郎氏が後から続いて乗り込んだ。

「おにいちゃん!!私の話を聞いて!!いきなりなんでさよならなんて言うの!?」

深月が陽介が座っている所に近いガラスを叩いて彼がこちらを向いてくれるのを待った。しかし、陽介は向かない。そしてそのまま車は発進した。

「おにいちゃん!!」

深月は走りだそうとする。それを僕は止めた。

「陽介さんは覚悟を決めたんだ。笑顔で見送ってあげよう。」

僕がそう言うと彼女はようやく理解したようで、目から涙を流しながらも満面の笑顔を作って、小さくなっていく車に一生懸命手を振り続けた。



人の思いは複雑で、それでいて繊細で、壊れやすいもので、それでも真っ直ぐとしていて。



すれ違った思いも必ずどこかで分かりあえる。陽介と深月のやりとりを思い起こしながら僕はそう感じていた——

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